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5万円借りて作った会社、売上げ92兆企業に…ロッテ創立50周年


  • 5万円借りて作った会社、売上げ92兆企業に…ロッテ創立50周年
高さ123階・555メートルの国内最高層のビル。ドバイのブルジュ・カリファ(828メートル)、中国の上海タワー(632メートル)に次いで世界で5番目に高いビル「ロッテワールドタワー」が3日、正式にオープンした。延べ500万人が投入されて、建設段階でのみ4兆ウォンがかかった超大型プロジェクトだ。

辛格浩(シン・ギョクホ)ロッテグループ総括会長(95)の宿願事業だったロッテワールドタワーは、1987年に最初の事業地選定後の30年ぶりにオープンすることになった。韓国の代表的なランドマークのロッテワールドタワーの始発点には、借りた5万円の金で事業を起こしたシン総括会長の経営神話がある。

1922年に慶尚南道の蔚山で生まれたシン総括会長は1941年、日本行きの関釜連絡船に体を乗せて、東京で苦学生活を始めた。昼間は牛乳や新聞を配達して、夜は上級学校への進学を準備する「昼耕夜読」の生活だった。彼の誠実さを認めた日本人のハナミツが5万円を投資して、シン総括会長は経営者としての第一歩を踏み出す。

よしんば工場が2度も米軍の空襲を受ける挫折を経験したがたちまち回復に成功し、石鹸・ポマード・クリームのような油脂製品を作ってビジネスの成果を出し始めた。敗戦後の生活必需品難にあえいでいた日本で、シン総括会長の手作り石鹸は品切れになって、1年半ぶりに借金5万円をすべて返済することができた。

1947年4月にシン総括会長は、生まれつきのビジネスセンスを発揮してガム事業に飛び込む。ガムなどまだ無い時代だったので彼は大金を稼ぐことができ、資本金100万円と従業員10人の法人事業を作るに至る。会社名「ロッテ」の登場はここから出発する。ロッテという名前は、シン総括会長が苦学生時代に夜通し読んだゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』のヒロインの名前から取ってきた。

1965年に韓国と日本の国交が正常化して、1966年には在日同胞の法的地位協定締結・発効で故国への投資の道が開け、シン総括会長の韓国事業は幕を上げた。 1967年4月、資本金3000万ウォンでロッテ製菓株式会社を設立し、国内では初めてメキシコ天然チクルを使用した高品質のガムを出荷した。以後は1974年と1977年に、それぞれロッテ七星飲料とロッテ三岡を設立し、国内最大の食品企業の面貌をそなえるに至る。

1973年、ソウル市小公洞のロッテホテルの完成は、ロッテグループの転換点になった。地下3階~地上38階・1000部屋の規模で、当時は東洋最大の特級ホテルとしてオープンしたロッテホテルは、京釜高速道路の建設費とほぼ同じ水準の1億5000万ドルが投入された。産業基盤が脆弱なうえに観光商品もきちんと整っていなかった当時としては、たいへんな冒険だった。

これは「観光立国」に対するシン総括会長の信念が作用したものだ。

シン総括会長は流通分野でも将来を予測した。1979年にオープンしたロッテデパートの規模(地下1階~地上7階)は、従来のデパートの2~3倍に達した。同じような時期に建設・石油化学産業にも進出したロッテは1980年代の高速成長期を迎え、1989年にはソウル市蚕室(チャムシル)にロッテワールドをオープンさせた。
  • 毎日経済_チェ・スンヂン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2017-04-03 23:55:59




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