トップ > カルチャー > カルチャー > 故ペク・チュンヒョン教授の伝記「国際法学者、その人ペク・チュンヒョン」発売

故ペク・チュンヒョン教授の伝記「国際法学者、その人ペク・チュンヒョン」発売

「独島は韓国の地」地図の発掘に生涯 

故ペク・チュンヒョン教授の伝記『国際法学者、その人ペク・チュンヒョン』が出る。〈澗松〉全鎣弼(チョン・ヒョンピル)、〈樹話〉金煥基、金壽煥枢機卿などの伝記を書いた作家のイ・チュンリョル氏が執筆した。イ・チュンリョル氏は「伝記は社会と歴史に意味のある成果を残した人物の人生を復元する作業」だと語る。ペク教授の伝記を執筆した理由も同じだ。

  • 故ペク・チュンヒョン教授の伝記「国際法学者、その人ペク・チュンヒョン」発売
ペク教授は国際法と呼ばれる、一般人には多少不慣れな学問を通じてわが国の外交力向上に貢献した。ペク教授は外国との交渉や条約で不利益にあわないようにするには明確な国際法に基づくべきで、そうしてこそわが国の国際的地位も上がることができると信じていた。

特にペク教授は独島がわが国の領土であることを国際法で証明するために一生涯を捧げた。日本の領土ではないという国際法的証拠が多くなるほど、国際世論戦で韓国が有利だと判断したペク教授は、独島が日本の領土ではないという事実が表記された日本の古地図、その中でも国で発行された官撰地図の発掘に多くの努力を傾けた。

十数年のあいだ日本の古書店を探し回ったペク教授は、1998年に「官板実測日本地図」に日本の古書店で巡り合った。当時の金で1000万円(約1億ウォン)という巨額の私財を投じて韓国に持ってきた。

  • 故ペク・チュンヒョン教授の伝記「国際法学者、その人ペク・チュンヒョン」発売
ペク・チュンヒョン教授が私財を投じて購入した1867年「官板実測日本地図」。地図に隠岐島はあるが独島はない。独島が日本の領土ではないとの判断を下したのだ。

官板実測日本地図は日本のキム・ジョンホと呼ばれる、有名な地図学者である伊能忠敬(1745~1818)が1800年から1817年までの17年間、日本全体を実測して1870年に発行した「日本地図製作の母本」と呼ばれる官撰地図だ。伊能忠敬の列島測量作業は江戸幕府主導の官製地図の作成作業だった。したがって、この地図は当時の江戸幕府の領土認識を正確に示している。以後、多くの明治時代の官製地図もまた伊能地図をもとに作成された。ところがこの地図を見ると隠岐諸島は見えるが、その上に位置しなければならない独島はどこにもない。当時、日本が独島を自国の領土と認識していなかったことを知ることができる部分だ。

現在、この地図は毎日経済新聞が確認した結果、外交部で保管されていることが分かった。ペク教授の遺族は「韓国政府が公式に乗り出せない重要な資料を、ペク教授は個人資格で入手した後に、これらを後に政府が確保した事例が数件あった」と説明した。

ペク教授は帰国後、地図を入手したという事実を公に発表しなかった。当時、韓・日両国間では「新韓日漁業協定」と「中間水域」に対する議論が行われ、独島の領有権について当分のあいだは外交摩擦を避けようという紳士協定が暗黙的に行われた状況だったからだ。ペク教授は「官板実測日本地図」に関連する論文発表を先送りしたが、持病が悪化して地図は日の目を見ていない。

外交部の関係者は毎日経済との通話で、「地図の原本は毀損されず最高の状態で保存できる梧桐木棺の中に、地図を含む独島資料を保管している」と述べた。続いて「ペク・チュンヒョン教授には生前に本当に多くを助けていただき、独島問題では大きな役割を果たされた」と感謝の挨拶を伝えた。

ペク教授は1961年にソウル大学法学部を卒業し、1968~2004年にソウル大学法学部教授を務めた。韓国人初の国連人権特別報告官を務め、国際仲裁裁判所の裁判官としても活動した。フランスの文化財返還と独島領有権紛争解決の先頭に立ってきた故人は、脳出血で2007年に享年68歳で死去した。伝記が出されるのは死後10年ぶりだ。
  • 毎日経済_キム・ヨンヂュ記者/パク・テイン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2017-04-06 19:47:54




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア