ビートルズのように熱い…防弾少年団(BTS)シンドローム


  • 11月アメリカンミュージックアワードで防弾少年団が公演する姿。右下の写真は、エドサリバンショーに出演するために1964年2月7日、米国のジョン・F・ケネディ国際空港に降りたビートルズを見るために集まったファン。 写真提供= ama・ニューヨークデイリーニュース



「あなた方がLA空港に到着した時、ビートルズが到着したようだった」

米国放送人のエレン・デジェネレスは最近、自分の名前を看板にしたトークショーに出演した防弾少年団にこのように挨拶をした。 2017年に米国の地を踏んだ防弾少年団へのARMY(ファンクラブ名)の応援。そして1964年にジョン・F・ケネディ国際空港からビートルズを迎えたビートルマニアの熱狂の中に共通点を見出したという意味だ。

実際、防弾少年団の世界的な人気はこれまでの韓流熱風を超える。

米国の週刊誌ピープルは来る11日に配布する特別号で、防弾少年団を「世界で最もホットなボーイバンド」と紹介する予定だ。ビルボード誌は防弾少年団をめぐる文化的現象を「コリアン・インベージョン(Korean Invasion)」と命名した記事が載せられもした。これらの分析のように、ビートルズを前面にした1960年代の「ブリティッシュ・インベージョン(British Invasion)」と、現在の防弾少年団が牽引するコリアン・インベージョンは相当部分で似ている。

防弾少年団の成功を語るときに毎回登場するのは、ミュージックビデオに関連するさまざまな数字だ。防弾少年団は先月22日の時点で、YouTubeで1億ビューを超えたミュージックビデオ11編を保有するグループになった。これは国内最多保有グループのBIGBANGと同率だ。『MIC Drop(マイク・ドロップ)リミックス』のミュージックビデオが公開された後に、一週間で4000万ビューを超えた速度を見れば、近いうちに単独1位になる可能性も考えられる。

防弾少年団のミュージックビデオは曲・歌詞・映像美・ストーリーなどの各要素が行き届いた、調和の取れたものと評価される。特に『花様年華』のアルバムシリーズでは、各ミュージックビデオのストーリーが後続曲のビデオにつながるようにして、テレビドラマのようにファンをひきつけた。ビートルズはミュージックビデオのコンセプトが確立されていない時期から、映像と音楽が作ることのできる相乗効果に注目した。公演実況を盛り込んだ『Twist & Shout』のビデオを1963年に公開したことを皮切りに、1967年には『Strawberry Fields Forever』プロポーショナルフィルムを出すなど、ミュージックビデオの先駆者的な役割を果たした。

しっかりとしたファン層は、2つのグループの人気が全世界に広がっていく足がかりになった。防弾少年団ファンクラブのARMYは、防弾少年団の課題に対処するときは戦闘作戦を実行するように機敏に動く。特に海外ARMYは防弾少年団のコンテンツを自国語に翻訳することに熱心だ。最近、防弾少年団が米国深夜トークショーの『エレンの部屋』に出演したときは、南米のファンがYouTubeでリアルタイム中継を行った。

ビートルズがアメリカに進出するところにも、ビートルマニアが決定的な役割を果たしたことが知られている。米国メリーランド州に住んでいたマーシャ・アルバートという少女は地域内のWWDCラジオに手紙を送って、「なぜアメリカではビートルズの音楽を聞かせてくれないの」と尋ねた。 WWDCはこれに応えて『I want to hold your hand』を流し、以後は放送局が先を争ってビートルズの歌を紹介して、ビルボードチャート1位に上がるきっかけとなった。

ビルボード誌は防弾少年団とビートルズが共有する成功の起爆剤だ。去る5月21日、防弾少年団がK-POPグループ初の米国ビルボード・ミュージック・アワードに出席した時には、米国内では彼らを知る者は多くなかった。しかし、ジャスティン・ビーバーが6年間独占した「トップソーシャルアーティスト賞」を防弾少年団が獲得した後に状況は急反転した。

防弾少年団のTwitterフォロワーは昨年3月に200万人を越えた後は、今年の2月に400万人になるまで約1年かかった。しかし「トップソーシャルアーティスト賞」を受けた後の5月に600万人を記録し、先月は国内初の1000万人を突破した。

この期間に、防弾少年団は9月の「ビルボード200」でアジア歌手の最高記録である7位をうち立てており、10月にソングチャート「ホット100」とアルバムチャート「ビルボード200」に同時に進入した。ビルボードを通じて認知度が高まり、これによって再びビルボードのランキングが上がる好循環軌道に乗ったわけだ。

通常、ビルボードに取り上げられることはポピュラー音楽の中心である米国で認められたという意味に解釈される。ビートルズが世界的なグループになるところに、ビルボードのランク入りが大きな役割を果たしたという分析だ。ビートルズは1964年4月の最初の週に1~5位を含め、計15曲をビルボードホット100チャート上に載せた。これはビートルズだけでなく、英国出身の歌手が米国・カナダ・豪州などで大きく注目される導火線になった。

防弾少年団とビートルズの背後には、彼らの大衆性を向上させた心強いマネジメントがあった。防弾少年団の父と呼ばれるBig Hitエンターテインメント代表のパン・シヒョク氏は、リーダーのRM(本名キム・ナムジュン)が高校の時に作った曲を聴いて直接抜擢した。その後6人の少年を追加で選び、7人組のそれぞれに個性に合った色を与え、メッセージ性を持ったアイドルに育てた。パン代表は今月5日、この功績を認められて大統領表彰を受賞した。

ビートルズもまたマネージャーのブライアン・エプスタインにめぐり会って商業的成功の足場を得た。初期のビートルズの曲を持ってまわったとき、ロンドンのほぼすべてのレコード会社から拒否されたが、ドアをたたき続けた最後に、EMI傘下のパーロフォン・レコードと契約を結ぶことができた。ブライアン・エプスタインは洗練されていないイメージのビートルズを、スーツを着た端正なイメージに刷新するなど、ビートルズを大衆化するところに大きな役割を果たしたと評価される。
  • 毎日経済パク・チャンヨン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2017-12-10 05:31:27.0