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「魅惑の南道紀行」千年の文化が息づく新安郡「長山島」


全羅南道新安郡の長山島(チャンサンしま)は長山面の本島で、木浦から西南に約27.8キロメートル離れている。東側は海南郡(ヘナムぐん)の花源半島(ファウォンはんとう)、南側は珍島と近い。長山島は島全体の山脈(やまなみ)が途切れることなく長くつながっていることから「長山」と称したが、長山島は島の形が丸い形で他の島とは異なり面所在地に入ると四面の海が全く見えず、陸地であるかのような感じがすることもある。

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  • 秋の風景が美しい長山島。長山島に行くには木浦から船に乗って1時間20分ほどかかる。 写真=MKスタイル



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  • 道昌里(トチャンリ)の老巨樹林(ノゴスリム)にある長山トゥルノレ伝授館。全羅南道の無形文化財である「長山トゥルノレ」を伝承するために2002年に建設された。 MKスタイル




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  • 道昌里老巨樹林。 1987に年全羅南道記念物100号に指定された新安郡の島地域の代表的な老巨樹林だ。 MKスタイル



長山島は歴史的に周囲島嶼の中心地だったが、三国時代には百済島嶼のひとつの県である居知山県(コヂサンけん)で、上苔島(サンテしま)、下苔島(ハテしま)、荷衣島(ハウィしま)、安昌島(アンチャンしま)などの近隣の島々の行政の中心地だった。

統一新羅の時は安波県(アンパけん)だが、高麗太祖23年(西暦940年)には長山県に名称が変わって千年以上も「長山」という名前で、今まで呼び習わしている所だ。歴史遺跡としてはテソン山城や百済石室墳、ドルメンなどがある。

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  • 郷土資料第15号のテソン山城。長山里多水里のテソン山の上にある城跡。 MKスタイル



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  • 道昌里の百済石室墳。 1966年に発掘されたここは、1987年に全羅南道記念物第107号に指定された百済式石室古墳だ。 MKスタイル



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  • 長山島大里のドルメン。古代からこの島には多くの人が密集して住んでいたことを示す遺跡だ。 MKスタイル



長山島は「秀才の島」と呼ばれるほど、数多くの秀才家門を輩出したことでも有名だ。チャン・ヂンソプという者の子孫の中から独立運動家が3人、大臣が2人、教授が7人輩出された。独立運動家のチャン・ビョンヂュン、チャン・ホンヨムがこの地域の出身であり、前産業資源部長官のチャン・ヂェシク、前女性部長官のチャン・ハヂン、高麗大教授チャン・ハソン、ケンブリッジ大教授チャン・ハヂュンとチャン・ハソクらはすべてひとつの家門だ。

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  • 独立運動家チャン・ビョンヂュンの生家。チャン・ビョンヂュン先生は臨時政府の議政院財務省次長として活躍し、国の独立のために献身した独立運動家だ。 MKスタイル



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  • 独立運動家チャン・ビョンヂュン先生の記念碑。 MKスタイル





  • [毎日経済_MKスタイル文・写真/イ・ガンイン旅行作家]
  • 入力 2017-12-13 16:49:53




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