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博物館は生きている③…「韓国銀行貨幣博物館」


  • 博物館は生きている③…「韓国銀行貨幣博物館」
  • 大韓帝国時代に発行された「20ウォン金貨」。
    オークションでの最高額は1億5000万ウォンに達する。
    写真提供=韓国銀行貨幣博物館



◆ 博物館は生きている/③ 韓国銀行貨幣博物館 ◆

「いつも通り過ぎるのに、入ったのは初めてですね」。

去る22日午前、ソウル市中区の南大門路に位置する「韓国銀行貨幣博物館」。ルネッサンス様式で建てられたここの玄関を開けると、シム・ウォンボ貨幣博物館チーム長が笑顔で迎えてくれた。 「外観は上品な感じがするでしょう?明洞大聖堂(1898)の次に古い(笑)」。シム チーム長はこの博物館に関連する業務を総括している。

1912年に完成した貨幣博物館はこう見えても今年107歳で、地上2階(5680平方メートル)の建物だ。外見上、上から俯瞰して見ると「井(チョン)」字の形であり、正面を中心にきっちり左右対称を成している。当初は日本が第一銀行として使おうと建てたが、1912年から朝鮮銀行本店に、1950~2000年は韓国銀行本店として使われた。1981年に国の重要文化財(史跡第280号)にも指定された、われわれの貴重な文化資産だ。

「ここで開港期の貨幣をちょっと見てください。かつてロシアのルーブル銀貨、メキシコ銀貨、中国の馬蹄銀などがすべて通用しました」。シム チーム長の説明にしたがって入ると、展示室の真ん中に開港期の外国貨幣がずらりと揃えてある。その内幕はこうだ。

1876年の江華島条約で開港が行われた。政府は近代貨幣が必要だったので、「典圜局」(最初の常設造幣機関)を設置して金銀本位制も導入を試みる。しかし、政府の無分別な「當五錢(タンオヂョン)」の発行と外国貨幣の流通が重なって、国内貨幣経済は混沌のるつぼに陥る。シム チーム長は「開港期経済史の悲しい歴史」だとした。

足を右に移動すると、「最初の金貨3種」が視線をとらえる。 1906年ごろに帝国政府が発行した20ウォン、10ウォン、5ウォン金貨だ。日本の大阪造幣局が作って、国内で最初に発行したものだという。実際の発行数量は微々たるもので、市場流通は行われなかった。 「収集家のあいだでは、これはとても人気です。あ5ウォン貨幣が2億ウォンで取引されているとか、10ウォン、20ウォン貨幣は1億5000万ウォンを上回るとか言いますよ」。

室内には国内で初めて設置されたエレベーターもそのまま動作していた。今後は展示用に公開される地下金庫とも接続する予定だという。これに乗って2階の古い総裁室に入った。総裁室の広い外壁は、韓国経済を号令した歴代24人の経済首長らの肖像画でぎっしりた。じっと見ているだけでも彼らの気品がそのまま伝わってくる。 1987年に韓銀が新築本館に移るまで使っていた執務室を再現したものだ。「あそこに尹潽善(ユン・ボソン)前大統領に見えるでしょう?私のかなり若い頃でした」。

次に見学したのは金融通貨委員会室だった。ここの前面には1950年6月5日に初の金通委会議のシーンを盛り込んだ大きな記録画がある。画の中の人物中には、過去に金通委員だった尹潽善前大統領がまっさきに目に入る。ここに配置された仮想現実(VR)ゴグルを使えば、金融通貨委員の会議場面も仮想現実で見ることができる。

貨幣博物館は空間そのものが優雅で、ただゆっくり歩くだけでも気分が良い。この点では、国内の博物館の中五本の指に入るほどだ。それでも平日の来場者は500~600人、週末には1000~1500人程度だという。昨年は23万人が訪れた。一般にはまだあまり知られていない所だ。

シム チーム長は「来る4月は韓国銀行所長名品100人100選、5月には韓・中・日の古代貨幣の流れ展などを開催し、大衆に継続して手を延ばすつもりです」とした。 「中央銀行の歴史はまさに国の歴史。みんなが楽に訪問して体験し勉強できるスペースにならなければ(笑)」。
  • 毎日経済_キム・シギュン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2018-03-23 19:07:37




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