俳優キム・ヒエ『ハーストーリー』…釜山方言と日本語のセリフで大汗


俳優キム・ヒエ(51)に「優雅」という修飾語はお決まりだが、それに納得するしかない表現だ。 1967年済州生まれで、1983年の映画『二十年の最初の日』でデビュー。その後、35年という長い長い歳月を俳優として一本道を歩んできた彼女は、故チェ・ジンシルやチェ・シラと1990年代の女優トロイカ(三人組み)の一人だった。

数多くの女優が年月の風化とともにうわさも音沙汰もなしに明滅したが、彼女はまだスクリーンとブラウン管で縦横無尽だ。このように自分だけの光を放ちながら、新旧世代を合わせる女優に上がっている。

しかし12日、ソウル市三清洞で会った彼女は終始一貫して身を低くした。 「私はただ平凡な生活人ですよ」とはにかむように笑うのだった。 「私を見て優雅という言葉をときどき使ってださるのに、そんな話を聞くときはどうしていいのかわからない。罪悪感さえ感じます。本当にやめてくださいね。私は生活人であり、一人の男の妻であり、二人の息子(大学1回生と高校3年生)の母親であるだけです。ただ演技という仕事をしているだけですよ(笑)」。 "

この日、キム・ヒエに会ったのは映画『ハーストーリー(Herstory)』(6月27日封切り)に主演するからだ。 『ハーストーリー』は1992~1998年間の関釜裁判の実話にもとづいた作品だ。日本軍慰安婦が日本政府に対抗して、6年あまりのあいだ闘争して初めて補償判決を受ける過程を描く。劇中、彼女は関釜裁判を導いた原告団団長ムン・ジョンスクを熱演した。 「釜山方言と日本語のセリフを消化しようと大汗を書いた」という。

「記憶力が恐ろしいほどどんどん悪くなっているんです。精神的健康のためにも俳優の仕事を長く続けなくてはという気がするほど。ムン・ジョンスクは釜山なまりと日本語が堪能だが、方言のアクセントの練習から日本語の演技、セリフの一行一行を覚えるのがとても大変ですよ。おねがいシマスを覚えるためにのみ一週間かかりましたね…(笑)」。

日本語を知らないことから、発音をハングルで書いていちいち覚えた。忘れてまた忘れるのが常だったが、あきらめなかった。そうするうちに、ミン・ギュドン監督がセリフを変えたら最初から覚えなければならない。涙が出た。 「しまいには夢の中でさえ日本語をしゃべったでしょうか。一世一代の挑戦でした。年配の俳優がなぜそんなのかと恥をかくかとこわくなったり。貴重な映画なのにパルヨンギ(大根役者)`ではだめでしょう」。

このような気の持ちようかもしれない。起伏なく長い期間を大衆に愛されるということは。大先輩イ・スンジェ(83)が「演技上手な俳優」として指折りの後輩だが、「普通の人よりもいろいろ不足した女」だと彼女は再び謙譲した。それとともに話すのだった。 「そのためにも他の人よりも努力しようとしています。そこそこと思ったことはありません。プロセスが大変であればこそ結果が光を放ちます」。

彼女は 『ハーストーリー』に出演したことは、実は大きな使命感があってではなかった。多くの人がそうであるよう、関釜裁判が何なのかも知らなかった。シナリオをもらって感動したし、喜んで出演に応じた。 「準備しながら多くのことを学んだ」という。「金学順ハルモニのように力なく弱い慰安婦たちが、政府の助けなしに日本の裁判官の前に立ったしょう。信念にしたがって自分の話を語り、ひとりの人間として堂々としていらして。女性として感じ入る点が多かったです」。

この頃になればうっすらわかるようだ。彼女は今でも学んでいる俳優ということを。それだけに、ゆっくり続けて進んでいることを。彼女はまだ国民女優であることができるのは、おそらくこのためだ。
  • 毎日経済_キム・シギュン記者
  • 入力 2018-06-12 17:04:49.0

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