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ソウルの徳寿宮「トルダムキル」…全区間が復元

「恋人と歩くと別れる」…俗説の由来は? 

  • ソウルの徳寿宮「トルダムキル」…全区間が復元
  • 7日午前、ソウル市中区の大韓聖公会の裏庭で開かれた徳寿宮石垣の道接続記念行事で、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長、チョン・ヂェスク文化財庁長、サイモン・スミス在韓英国大使などの来賓が、改装の終えたトルダムキルを散策している。 写真=ハン・ヂュヨン記者



60年近く途絶えていたソウル徳寿宮の石垣道(トルダムキル)が7日からすべてつながり、ここにまつわる「俗説」に再び関心が集まっている。

ソウル市によると8日、これまで英国大使館の占有で途切れていたトルダムキルの最後の70メートル区間(英国大使館の裏門〜正門)を7日から市民に全面開放する。これによって徳寿宮のトルダムキル1.1キロメートルすべてがつながった。今回つながったトルダムキル70メートル区間は、徳寿宮の石垣の内側に造成された。文化財庁が管理する徳寿宮の石垣の内側歩道は夜間の徳寿宮の建物の安全などを考慮して、観覧時間の午前9時から午後6時まで開放する。毎週月曜日は徳寿宮の休業で開放していない。

これまで市民の散歩コースとして人気を集めた徳寿宮のトルダムキルは、これまで完全にはつながっていなかった。事情はこうだ。明成皇后が殺害された「乙未事変」以後、高宗(コヂョン)は日本の攻撃で身に脅威を感じて「露館播遷(アグァンパチョン/約1年のあいだ王宮を​​離れてロシア公使館に居所を移す)した。ロシアの公使館に避難した高宗は1年後の1897年、徳寿宮に還宮をしながら再び徳寿宮を宮廷として使用した。しかしすでに1880年代に入って慶運宮の一部は西欧列強の公使館の用地となったりして徳寿宮のトルダムキルは一部通行が制限された。

そんな中で、徳寿宮のトルダムキル復元プロジェクトが開始された。全体で1.1キロメートルのうち、英国大使館の前178メートルが制限された状況だったが、去る2014年にはそのうち100メートル(大使館職員宿舎の前〜英国大使館裏門)が市民に開放された。今年に入って残りの70メートルも開放されたわけだ。

では「徳寿宮トルダムキルを恋人と一緒に歩くと別れる」という俗説はどこから来るのだろうか。これをめぐって多くの俗説が語られるが、今のソウル市立美術館の場所に家庭裁判所があったことから、離婚をしに行く夫婦がこの道を通ったことに由来するという俗説が説得力を得ている。
  • 毎日経済デジタルニュース局_キム・ヒョンジョン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2018-12-09 13:58:31




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