Q.韓国では光復節に毎年特別赦免が行われるのですか?

답변게시판
A.
特別赦免は大統領固有の権限です。国会も裁判所も止めることはできません。解放されてはいけない人を解放して、世論の叱責を受けることもありますが、特別赦免を禁止する方法はないでしょう。

もちろん特別赦免の対価としてお金を受け取ったり、不正な介入があったのなら話は変わりますが、どのような目的であれ、大統領の固有権限を制限する方法はありません。特別赦免に署名しながら大統領は、おそらく王にでもなったような気がすることでしょう。人ひとりの人生を思うままにすることができるのですからね。

1948年の大韓民国政府樹立以後、特別赦免が初めて実施されたのは1951年1月1日です。新年を記念するためにではなく、戦争により釜山に追われていた政府が再びソウルに戻ったことを記念するために実施されました。赦免と一緒に減刑も行われましたが、赦免の恩恵を受けた人は全部で3160人でした。

日本植民地支配からの解放を祝う光復節を記念して断行された特別赦免は翌年の1952年に初めて実施されました。当時、赦免はなく、復権のみを実施しましたが対象者は3227人です。

李承晩(イ・スンマン)政府がその後、光復節の特赦を行った年は1954年、1956年の2年です。1960年までに断行された大統領特赦を見ると、光復節より新年記念がはるかに多く、李承晩大統領の生誕80周年を記念した特赦も一度だけありました。

4.19学生革命で政権を握った尹潽善(ユン・ボソン)政府は新政府の樹立を祝う記念に3215人を特別赦免しました。これよりはるかに多くの11214人の特別復権も行われました。1961年8月15日には、4015人が特赦で釈放されました。

以来、5.16軍事革命で政権を握った朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が政権を握っていた1970年代の末まで、光復節に特別赦免が断行された年は1962年(529人)、1963年(17人)、1969年(848人)、1970年(328人)、1973年(18人)などがあります。1979年の光復節にも特赦がありましたが、たった1人の復権にとどまっています。

光復節になると、監獄に閉じ込められている囚人のうち、​​刑期もほとんど満たして、模範的生活をしていた囚人が特赦を期待しますが、毎回期待通りに行われているわけではないことを知ることができます。光復節より大統領就任による特赦を期待するほうがはるかに可能性があります。このときまでは、就任記念により断行された特赦が、対象者もはるかに多かったからです。

朴正熙政府は李承晩大統領時代とは異なり、新年の記念ではなく、クリスマスを記念して特別赦免を多く実施したという点も相違点です。

朴正煕大統領が亡くなった後に、大統領に就任した崔圭夏(チェ・ギュハ)政府は、光復節の特赦について考えることすらできませんでした。就任記念に589人を特別赦免しましたが、翌年には軍部に政権を渡さなければならなかったため、光復節の特赦を考える暇すらありませんでした。

以降、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領時代には、1981年(62人)、1983年(77人)、1984年(43人)の光復節に特別赦免が実施され、1985年の光復節には4人が特別減刑される恩恵を受けました。全斗煥大統領時代に特赦がなされた名分は、光復節と就任記念のほか、新年、釈迦誕生日、クリスマスなど多様でした。

1988年から1993年まで在任した盧泰愚(ノ・テウ)大統領時代には、大統領就任記念とクリスマスに特別赦免が実施されましたが、残念ながら光復節の特赦は一度もありませんでした。

民選1期と自慢する金泳三(キム・ヨンサム)政権で初めて実施された特別赦免では非常に多くの人が喜びを満喫しました。なんと、3万6850人が赦免され、1076人が減刑、2987人の復権が行われました。

金泳三大統領の任期中には第50回の光復節があったため、逆に特赦をしないことは難しかったことでしょう。 19995年8月15日、1587人が赦免され、426人の刑期が減りました。

金大中(キム・デジュン)政府のときに光復節特赦が行われた年は1999年と2000年の二度です。2000年の光復節の特赦は21世紀の扉を開くという意味であるとして2万7029人という多くの人が特赦の喜びを享受しました。相次いで2年間、特赦が実施されたため、次の年の光復節に期待していた人々の夢は失敗に終わって、光復節特赦は盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府になってからを待つしかありませんでした。

盧武鉉大統領は、2003年8月15日に2万3780人、2005年8月15日に1万2043人の罪を洗い流してあげました。決して少ない規模ではありません。

任期中に光復節の特赦を最も多く行った大統領は、李明博(イ・ミョンバク)大統領です。2008年(1万198人)と2009年(1947人)、2010年(72人)の3回にわたって光復節の特赦を断行しました。李明博大統領時代の2009年12月31日、李健熙(イ・ゴンヒ)サムスングループ会長ただ1人だけがIOC委員の資格で特赦の恩恵を受けました。

朴槿恵(パク・クネ)大統領は前任者に比べて帝王的権利を使用しない方に属します。就任3年目の今年まで、特別赦免の権限を行使したのはたったの2回に過ぎません。しかしながら、今年の光復節の特別赦免は6527人に達するうえ、特別減刑が220万4624人に達したのですから、度量は大きいですね。

光復節の特赦。毎回の事ではありませんので、特赦を夢見てはいけません。もちろん、特赦を受ける対象にもならないようにしてくださいね。
  • Lim, Chul
  • 入力 2015-08-14 00:00:00

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