Q.韓国芸能界の二世タレントについて教えてください。(下)

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A. ※ この記事は「韓国芸能界の二世タレントについて教えてください。(中)」の続きです。

歌手として活躍する二世タレントといえば、やはりシン・ジュンヒョンの3兄弟をまず挙げるべきでしょう。シンさん家族の話をするためには、まず、シン・ジュンヒョンがどのような音楽家であるかから説明しなければなりません。

シン・ジュンヒョンは、米国ロックンロールの代名詞として知られるチャック・ベリー(Chuck Berry)と比肩​​される人物です。西欧のロックを受け入れ、韓国のアイデンティティを生かした「韓国ロックの父」と呼ばれる音楽家です。

韓国人の父と日本人の母の間に生まれたシン・ジュンヒョンは韓国戦争以降、親を亡くして一人で暮らしていましたが、倉庫を守る仕事をしながら中古ラジオを一つ手に入れて、1日中、米軍放送を聞きながら音楽にはまったと言われています。そして、使えなくて捨てられたギターを拾ってきて練習をしました。

1955年、在韓米軍の芸能団で「ヒッキー・シン」という名前で活動していましたが、他人には真似もないできないほどのギター演奏を披露し、会場で彼のギターの音が聞こえたら、米軍が熱狂したそうです。シン・ジュンヒョンは1964年に韓国初の創作ロック音楽『雨の中の女』を発表しましたが、これは米国や英国でロックンロールバンドが結成され、活動を始めた頃でもあります。

つまり時代をあまりにも先行していたのです。そのため若者から人気を集めはしましたが、韓国大衆音楽の風景を変えることはできませんでした。海を越えて米国と英国でビートルズとエルヴィス・プレスリーが人気を集めて、いわゆるシン・ジュンヒョン師団と呼ばれるパールシスターズ(Pearl Sisters)とキム・チュジャ、チャン・ヒョンなど、そうそうたる歌手らがシン・ジュンヒョンの曲を歌いながら、大衆音楽界でのシン・ジュンヒョンの地位が固まりました。

あまりにも有名になっため、シン・ジュンヒョンは政権の標的になりました。5.16クーデター以来、民政移譲形式で政権に握った第三共和国は、シン・ジュンヒョンに朴正煕を賛美する歌を作れと要求しました。しかし、シン・ジュンヒョンはこれを拒絶しました。後日明らかになったのは「嫌いだったというよりは、やる気が起きなかった」という理由だったそうです。朴正煕賛歌の作曲を拒否した後、民衆歌謡とされた『美しい山河』を発表​​したので、本当に憎まれたことでしょう。

それでも10月維新以前には政権の弾圧があまりありませんでしたが、維新体制が発足した後に露骨な弾圧が行われました。健全な民族文化を暢達するために大麻などを吸うヒッピー文化を防ぐという名目が掲げれらました。ロック音楽をするシン・ジュンヒョンと彼のバンドは、当局の監視対象でした。

「髪を切らなければ出演を禁止する」という放送局の通知も飛んできました。シン・ジュンヒョンとバンドはヘアスタイルを端整にして、スーツにネクタイ姿でアルバムを出しましたが、彼の歌はほとんど禁止曲に指定されてしまいました。さらに、1975年12月に大麻喫煙の疑いでシン・ジュンヒョンを拘束しました。シン・ジュンヒョンは60年代初めに大麻をしていた経験があり、それについての文もメディアに寄稿したことがあります。そのために司法当局に呼び出され、調査を受けて略式起訴処分を受けました。

以来、大麻とは程遠い生活をしていたのに、麻薬関連法を遡及適用してシン・ジュンヒョンに4カ月の懲役刑を下します。それだけでなく、芸能人協会からも除名され、1978年に救済を受けるまでは、ナイトクラブでも活動をすることができなくなりました。

  • < シン・ジュンヒョン(左から2番目)と息子3兄弟。(左から)シン・デチョル、シン・ユンチョル、シン・ソクチョル)>

このようにシン・ジュンヒョンは大衆から忘れられて行きました。彼の息子3兄弟も、主にアンダーグラウンドで活動しています。長男であるシン・デチョルは韓国初のヘビーメタルグループである「シナウィ(Sinawe)」を結成して、リーダー兼ギタリストとして活動しており、次男のシン・ユンチョルと末っ子のシン・ソクチョルは、プロジェクトグループを結成して活動しています。

シン・ジュンヒョン親子に加えて、代を継いで舞台に立つ歌手はたくさん存在します。

数多くのヒット曲を発表して韓国トロット界を牛耳るテジナと2005年にデビューした歌手イル、1979年に東洋放送で最高賞を受賞したチョ・ギョンスとミュージカルと俳優で活動するチョ・ソヨン、チョ・スンウ兄弟、永遠なるエレジーの女王と呼ばれるイ・ミジャと日本を行き来しながら歌手として活動する娘チョン・ジェウン、韓国歌謡界初の「ディーバ」で、ディナーショーの女王と呼ばれるパティ・キムと2003年に歌手としてデビューした娘カミラ(Camilla)などを挙げることができます。

  • < エレジーの女王イ・ミジャと韓国と日本を行き来しながら歌を歌う娘チョン・ジェウン >

1960年代、3000万の恋人と呼ばれたウグイス歌手パク・ジェランの娘パク・ソンシンも1988年のカンビョン歌謡祭を通じて歌手デビューし、MCとしてデ後、歌手として活動中のキム・ヘリムは韓国の「アンナ・カシュフィ」と呼ばれる元老歌手ナ・エシムの娘です。高齢な歌手まで挙げると『男の道』を出した歌手コ・ヨンジュンは1930年代を風靡した夫婦歌手コ・ボクス - ファン・グムシムの息子です。

そして、チャン・ナラを欠かすことはできません。チャン・ナラの父チュ・ホソン(本名チャン・ヨンギョ)は、演劇の舞台によく立つ声優であり、兄チャン・ソンウォンも俳優です。チャン・ナラの人気が天を衝く勢いで高まると、何故名字が違うのか、父のサポートをたくさん受けたのかなどの言葉も飛び交いました。チュ・ホソンは本名が橋の名前を連想させて、学生時代からいじめを受けたため、芸名を使うことになったそうです。

  • < 演劇の舞台で活動するチュ・ホソンと芸能人兄妹(俳優チャン・ソンウォン、歌手兼俳優チャン・ナラ)>

とにかくチャン・ナラは、小学生の頃から勉強は後回しにして芸能人の夢を育ててきました。小学校5年生の時に子役として演劇俳優を始め、17歳には学習指導広告のモデルとしてテレビにも顔を出しました。オーディションを受けに行ったときにチョコハイムのCMソングを歌って、歌手の提案を受けてSMの練習生になりました。

2001年に最初のアルバム『涙に顔を埋める』を出しましたが、涙が出るほどひどい失敗を味わいました。アルバムの販売が不振している状態でMBCシチュエーションコメディ『ニュー・ノンストップ』に出演して、誰もが嫌いな情けない男に片思いする女子大生役を演じ、ドジでかわいい女子学生として人気を集めました。

それによりデビューアルバムも一歩遅れて売れ初め、後続曲がチャートにランクインしました。翌年には、その当時、人気絶頂だったBoAまで抑えて、女性ソロ歌手はBoAとチャン・ナラの二強構図となりました。

2000年代半ば以降には、主に中国市場で活動していますが、演技と歌の両方の分野でトップを占めた数少ない芸能人と言えるでしょう。さらに、韓国や中国など、多くの国で、2009年にはすでに130億ウォンに達する寄付をしているため、寄付天使と呼ばれることもあります。
  • Lim, Chul
  • 入力 2016-09-07 00:00:00

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