A. | ▶ アン・ヒジョン(安熙正) 父親が熱心な朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の支持者であるため、名前を朴正煕の正煕を逆にした熙正とつけたが、政治性向は完全に正反対だ。金大中(キム・デジュン)内乱陰謀、5.18光州民主化運動を見て衝撃を受け、高校時代にすでに民主化運動に飛び込んだという。そのために高校もまともに通えなかった。検定孝試を受けて苦労して入った高麗大学も1、988年の反米青年会事件で収監されて除籍処分にされてしまった。本格的に政治活動をするに先立ち、復学して卒業証書を受けた。 2001年、盧武鉉(ノ・ムヒョン)議員の補佐官でありながら、李光宰(イ・グァンジェ)前江原道知事と一緒に「左熙正 右光宰」と呼ばれるほど、盧武鉉大統領の最側近で呼ばれたが、参与政府(盧武鉉政府)で特別な公職を引き受けることはできなかった。 ▶ ウォン・ヒリョン(元喜龍) 済州島が生んだ天才。済州屈指の名門である済州第一高校で全校1位はもちろん、全国首席も逃さなかった。1982年第1回大入学力考査で首席になり、ソウル大学法学部も首席で進学した。大学在学中には軍部独裁の現実を見て学生運動に飛び込み、夜学で学生たちを教えたりもした。社会活動をするために司法試験を受ける方がいいと考え、本格的に試験準備に入ったが、2年間勉強をして司法試験も首席で合格した。 政治に入門し、軍免除を受けた事実がしばらく論議になったことがあるが、自分の足の指を引証し、論議を終息させた。子どもの頃にリアカーの商売をしている際に、足の指を切断する事故が起きたが、落後地域(生活水準が全国平均よりはるかに低い地域)にあった病院だったためしっかりとした診療を受けられなかった。とにかく彼は肢体障害者(2級)だ。 ▶ ホン・ジュンピョ(洪準杓) 駄賃一銭もなかった時代に、妻に出会ったという。区内の銀行職員である女性に惚れて眠れず、友人の助けを借りて、やっと会い、有無を言わせず「都合がつき次第、一緒に暮らそう」とプロポーズしたという。そして、何日も経たないうちに彼女と夫婦の契りを結んだ。本当に勇気のある青年だ。 司法試験を受験し、落ち続ける中で、軍に行くことになったが、当時はあまりにも痩せ細っており体重不足で現役では行かず、14カ月間の防衛(公益勤務要員の前身)で軍生活を終えた。 軍服務を終えた後、妻の献身的な支えの下で司法試験に再挑戦し、29歳で司法試験に合格した。 検事を務めている間は、それこそ水火を辞さない聖域なき捜査で盛名を馳せた。パチンコ業界の金持ちはもちろん、彼を庇護していた6共和国の皇太子パク・チョルオンも拘束起訴した。彼のこのような逸話は、ドラマ『砂時計』の素材として借用された。 彼は慶南企業のソン・ワンジョン会長が自殺し、残したリストに載って裁判を受けている中だが、検事時代の自分を振り返ってみると、少しは気持ちが複雑だろう。 |