A. | ※この記事は「NCTについて教えてください。(2)…NCT DREAM①編」の続きです。 NCT DREAMのメンバーについて紹介するのがちょっと性急なことかもしれません。NCTで最も幼い、未成年者たちで構成されたこのグループのメンバーは、固定されていないからです。 年齢を重ねれば去らざるを得ない上、新しく加入するメンバーも列を成して待機した状態です。有力なNCTの合流対象として取りざたされるSM Rookies出身の練習生チ・ハンソル(1994年生まれ)とクン(中国、19996年生まれ)は年齢が高く、DREAMチームに入る機会はありませんが、年齢を満たしたメンバーたちが去っていけば、新しいメンバーがその座を埋めざるを得ないでしょう。もちろんあくまでDREAMチームを未成年者で構成するという前提の下ではありますが。 DREAMチームで最も年長であるマーク(イ・ミンヒョン。1999年8月2日生まれ)は、初めてNCT Uでデビューする当時、最年少でした。 カナダの同胞であるマークは、バンクーバーで開かれたSMグローバルオーディションを通じて入社しましたが、デビュー前からSM Rookiesで活動してファンたちの注目を受けました。SM Rookiesは年齢が高い大きいRookiesと幼い小さいRookiesがありますが、マークは両方の場所で活動したせいでどのボーイズグループにデビューするか関心も醸し出しました。
ここにダンスまで上手く踊るオールラウンドプレーヤーです。現在通っているソウル公演芸術学校でも実用舞踊を学んでいます。話をする途中で右目をウィンクするように軽く閉じる習慣があり、時々一人でケラケラと笑ったりもするといいます。 SM Rookiesのショーでは「年齢に関係なくオッパ(お兄さん)と呼んでもいい」と話し、ヌナ(お姉さん)ファンたちが歓声を上げたりもしました。 レンジュン(ファン・レンジュン。2000年3月23日生まれ)は、中国吉林省出身です。名前や韓国語駆使能力を考慮してみると朝鮮族と推定されますが、まだ正確な事実が明らかになっていない状態です。韓国語の実力がどの程度なのかって? グループの別の中国人メンバーであるチョンロがSMに入社した当時に通訳を務めました。グループ内のポジションを明らかにする時、自ら「ちびっ子通訳士」と言うほどでした。レンジュンの趣味は、フィンランドの作家トーベ・ヤンソン(Tove Janson)の創作キャラクターであるムーミントロール(Moomintroll)を描くこと。中国の放送局とインタビューする時に、絵を公開したことがあります。 残念ながら運動とは最初から壁を作ったようです。精一杯努力してもボトルのキャップもまともに開けられない姿さえ見せたことありますよね。 ジェノ(イ・ジェノ。2000年4月23日生まれ)は、子どもの頃に広告モデルとして活動しました。地下鉄で母親と手を繋いで歩いている際にキャスティングされ、アンパン牛乳、プルムウォン、学習誌、ボイラーなどの多くのCFに出演しました。プルムウォンのCFでは豆を避け、母親に怒られて泣く姿がかなり印象的でした。デビュー直前の2014年にも、SKテレコムの広告を撮ったでしょう。
ジェノは性格が非常に純粋です。口数も少ない方でしょう。メンバーたちが「面白くない」と責め立ててもただ笑うだけだそうです。動物が好きなのか、猫アレルギーなのに猫を3匹も飼っているといいますね。このうち2匹はもらってきた子たちで、1匹は道に捨てられた遺棄猫を連れて来たそうです。 DREAMチームのビジュアル。最もハンサムなメンバーを挙げる時、ほぼすべてのメンバーから大量の票を受けました。笑っていない時は少し冷ややかな印象ですが、目で微笑みを浮かべる時は非常に魅力的です。本人もこれを意識しているのか、キャッチフレーズを「四六時中、目の微笑み」と決めたといいます。 ヘチャン(イ・ドンヒョク。2000年6月6日生まれ)は、NCT 127でデビューした当時は男性アイドルをひっくるめて年齢が最も幼かったですね。その記録は、DREAMチームの末っ子チソンによってたちまち塗り替えられましたが。 NCT 127のボーカルライン4人のうちの1人で、2013年に入社した当時から清らかで澄んだ声に「美声のボーカル」として認められました。変声期がほぼ終了した現在でも美声は相変わらずです。
ファンたちの間では、メンバーの中で実物とメディアの違いが最も大きいという評が支配的です。カメラが実物をしっかりと収められないという意味でしょう。今のように成長すれば、間もなく彼が持ったポテンシャルが爆発するだろうという意見が多いです。 ジェミン(ナ・ジェミン。2000年8月13日生まれ)は、ボランティア活動をしている際にSMにキャスティングされました。 DREAMチームの最後のメンバーとして公開されましたが、ミッキーマウスクラブなどに出演した時は愛嬌を振りまくジェロンドゥンイとして爆笑させたでしょう。
少女時代の熱烈なファンで、少女時代のユナとスヨンがゲスト出演した時は、とても気分が良く眠れないほどだったそうです。SMのキャスティング前は、スピードスケート選手で運動神経が良く、デビュー曲のパフォーマンスの中核として活躍しましたが、椎間板ヘルニアの悪化で3月現在、すべてのスケジュールから外れた状態で休暇中です。 中国人メンバーのチョンロ(チョン・チェンロ。2001年11月22日生まれ)は、非公開練習生としてDREAMチームのティーザーで公開された当時でも、韓国に来て1年が経っていない状態だったそうです。中国ではバラエティ番組『天天向上』、中国版ボイスキッズなどのさまざまな放送や公演に出演し、ファンミーティングも開いたことがあります。ボーカルの実力が相当ですが、現在は変声期が進行中なので引き受けたパートが多くはない方です。
頭の回転も速い方です。韓国に来た後は進学せずに会社の特別授業を受けるようですが、すでに英語と韓国語に日本語まで身につけたため、勉強もずば抜けてできるようです。英語は幼い頃から学び、日本語はドラゴンボールの漫画を見て覚えたといいます。 末っ子のチソン(パク・チソン。2002年2月5日生まれ)は、ミッキーマウスクラブに出演して「サッカーよりもダンスの方が好き」と言ったでしょう。引退したサッカー選手パク・チソンと同名異人だという点を考慮した言葉でしょう。
東方神起のユンホはチソンのダンスについて、「(自分も)恐ろしいほど迫力がある」と評しました。振付師トニー・テスタにも賞賛を受けたダンスの神童でしょう。優れたダンスの実力でDREAMチームのデビューから独舞とセンターを引き受け、2016年にMAMAの特別舞台だったNCTの全体舞台でも群舞のセンターを務めました。 幼い頃からKBS TV幼稚園の子役俳優や子どもモデルの仕事をし、2013年に中国で開催された国際子どもコンサートに出演した当時にチョンロと会ったことがあるといいます。 |