Q.ドラマの歴史人物、「洪国栄」について教えて下さい。

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A. 洪国栄(ホン・グギョン)が出てきたドラマ、映画

『王道-ワンド-』KBS1(1991) - キム・ヨンチョル

『洪国栄』MBC(2001) - キム・サンギョン

『イ・サン』MBC(2008) - ハン・サンジン

『ペク・ドンス』(SBS2011) - チェ・ジェファン

『逆鱗』(映画)2014年4月に公開 - パク・ソンウン

宋の国の朱熹が書いた歴史書『資治通鑑綱目』(以下『綱目』)に「爾母婢也 - お前の母は下女だ」という一節が登場します。母の淑嬪(スクビン)崔(チェ)氏が掃除担当の下女出身だったことから、コンプレックスがあった朝鮮21代王英祖(ヨンジョ)は、『綱目』を禁書に決めたといいます。

英祖の世孫である正祖(チョンジョ)は、これを知りながらも『綱目』を読んだのです。そんなある日、英祖が「何の本を読んでいるのか?」と尋ねました。世孫は何の考えも無く「『綱目』を読んでいる」と答え、英祖は非常に怒ってしまいます。慌てた世孫は「その部分は読んでいない」と言い逃れをしました。

世孫の言い訳を信じない英祖は内侍(ネシ、朝鮮王朝の宦官)に世子が読んでいた『綱目』を見つけて来るよう指示しました。ちょうど東宮殿には勤務中の洪国栄がいました。洪国栄は内侍が「『綱目』を出せ」と言うと気配を感じ取り、その一節があるページを切り取ったあとに渡しました。内侍が持ってきた本を見た英祖は「祖父の言うことをよく聞く感心な世孫」と賞賛を惜しみませんでした。

危うく父の思悼(サド)世子の後に続いて世孫から廃位される危機から抜け出した瞬間でした。洪国栄はその後に正祖イ・サンの最側近になりました。

この物語はあくまでも野史です。正史には『綱目』を禁書にしたという話も出てきません。

とにかく、洪国栄は正祖が世孫時代に政治的危機に直面するたびに彼を守り、正祖が王位に上がったあと一緒に翼をつけました。正祖赴任初期の洪国栄の権力は、とても強力なものでした。

正祖が王位に就いた後、洪国栄は都承旨(王命をつかさどる承政院の首席の官職)にさらには訓練隊長まで務めました。そして正祖が庶出のためにどうしようもなく彷徨っていた全国の人材を集めて作った奎章閣の直提学まで務めることになります。最近で言えば、大統領府秘書室長に警護室長・KDI(韓国開発研究院)院長まで引き受けた訳です。

ここらで野心が止まったら良かったのですが、一回エンジンがかかった権力への欲求は止まりませんでした。正祖に後嗣が無いと、これを心配した貞純王后が後宮選びを命じ、ただちに自分の妹を後宮に押し込みました。各種記録を見ると洪国栄はハンサムだったそうなので、妹の美貌もかなりのものだったでしょう(洪国栄をすごく嫌い、「天も地も恐れない人物」と悪口を言った正祖の母である惠慶宮洪氏も閑中錄に「洪国栄はハンサム」と記しました)。

洪国栄の妹は元嬪という称号を受けました。孝懿王后が中殿の席に座っているのにも関わらず、無礼にも一番という意味である元の字を使いました。元嬪は、中国皇室の貴妃の例を手本にして嘉禮を行い、正祖大臣の見舞いも受けました。しかし、後宮になってから1年で息を引止めてしまいます。

妹の死後、洪国栄の行跡は無謀そのものでした。王族の息子を元嬪の養子にし、元嬪の死で空いた後宮を入れるのに反対しました。自分の養子で正祖の後を継がせようという野心を露骨に表わしました。

洪国栄は妹の死に釈然としませんでした。孝懿王后によって毒殺されたと信じた彼は、内殿の女官を大勢捕らえて刀を抜き拷問にかけました。この事件がきっかけで正祖の心から洪国栄が消えてしまいます。

洪国栄は政界から引退するという上訴を出して権力の座から退きました。その時は年齢がわずか32歳の時でした。権力を喪失した洪国栄は流刑地である江原道江陵で海を眺めながら号泣して過ごし、1年後に病気によって息を引き取りました。
  • Lim, Chul
  • 入力 2017-05-01 08:49:00

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