Q.ドラマ「善徳女王」の美室(ミシル)は歴史上の人物ですか?

답변게시판
A. MBCの大河ドラマ『善徳女王』を見ると、女性が本当にうらやむ場面が終わることなく続きます。このドラマの実際の主人公とも言える美室(ミシル)が歳月が経っても少しも老けないという点です。

むしろより若くきれいになっていると言っても過言でありません。美室の存在を記録した唯一の史書である『花郞世紀』でも彼女の若さはこのように表現されました。

  • 美室の生活を伝える『花郞世紀』の筆写本。ソウル大学国史学科のノ・テドン教授は「もしこの本が本物であれば、古代史の研究にとって恵みの雨のようだ」と明らかにしたが、後にこの本が偽書であるという結論を下した

「外にはほとんど出ず、歳を重ねても肌が20代のようだった」。しかしながら美室が死ぬまで美しさを保っていたからと羨望する必要はありません。美室が実在の人物なのかさえ知ることができないからです。

『三国史記』や『三国遺事』はもちろん、新羅時代の遺物と金石文のどこからも美室の存在を探すことはできません。美室の記録を残した『花郞世紀』も実際の歴史を記録したものなのか、現在まで筆写本で伝わっている『花郞世紀』が本物なのかですら議論の的です。

ドラマ『善徳女王』と歴史の本を比較するとすべてのことが嘘であることをすぐに確認することができます。あくまで作家が生み出した人物として考えることが正しいでしょう。

主流の歴史学界で偽書扱いを受ける『花郞世紀』は美室について比較的多くの内容を伝えています。

  • ドラマ『善徳女王』で美室に扮したコ・ヒョンジョン(高賢廷)。美室の人気でドラマの視聴率が40%を越えるとギャラなしで8話分の追加延長に同意し、制作スタッフ全員に1000万ウォン相当のニンテンドーDSをプレゼントしたという

『花郞世紀』によると、美室の父親は真興王の領土拡張に功を立てた2代目の風月主*である未珍夫であり、母は法興王の後宮である妙道婦人。真興王の王妃である思道婦人が叔母です。ドラマを見ると、美室の男性関係は複雑極まりないのですが、おそらく代々伝わっているもののようです。

*風月主とは花郞(ファラン)の頭だ。15世紀以降に編纂された史書に出てくる言葉だ。

美室の母、妙道婦人の誕生も奇異です。妙道婦人の母、つまり美室の祖母である玉珍は昼寝をしていたところ七色鳥が腕の中に入って来る夢を見ました。貴重な息子を授かる兆しだと思って法興王と寝ようとしましたが、法興王が拒絶して夫と寝るように勧めたそうです。(当時の宮廷の中の男女関係は全く不可思議なものです。)王が一緒に寝ることを拒否した理由は「七色鳥は王の妾が生まれる兆し」と解釈したからです。王は息子を産めば太子にし、娘が生まれたら後宮にしようと約束しました。

その生まれた娘が妙道婦人で、約束通り法興王の後宮になります。(年齢差は問わないでください。)『花郞世紀』は妙道婦人が狭くて一緒に寝ることができず、愛情が薄れたと記録しています。(少しの想像が必要な部分です。)

玉珍は昼寝をしているときにまた夢を見ます。自分の腕の中から七色鳥が抜け出て、妙道婦人の胸の中に入る夢でした。驚いて妙道婦人のもとへ向かったところ、ちょうど未珍夫と密通していたところでした。そのときに生まれた娘がまさに美室です。

生まれた時から男女の関係が普通ではありません。美室の人生の中に登場する男も相当数います。

美室が初めて結婚した男は世宗です。しかし、姑の只召太后に嫌われて追い出されました。自由の身となった美室は伽耶の征伐に功を立てた花郎(ファラン)の斯多含(サダハム)と情を交わしたのですが、美室を忘れることのできなかった世宗はその知らせを聞いて苦しみました。息子が懇願すると只召太后は斯多含が戦場に出たすきに美室を再び宮に呼び込みました。しかし、世宗のそばには、その間に迎えた肜明婦人が支えている状態でした。

美室は自分は妾として来たため、正室になれない場合は一緒に寝ないと拒否し、肜明婦人を追い出した後になってこそ情を交わしました。その後、間もなく11代風月主となる夏宗(ハジョン)が生れたのですが、その姿が斯多含に似ていて「斯多含の子」という説も回ったそうです。

世宗との間には、夏宗のほか玉宗という息子がもう一人いて、美室の色事にはまって彼女を寵愛した真興王との間には般若と蘭若という2人の娘と、息子の壽宗が生れました。ここに真興王の息子の銅輪とも関係を持って娘の艾松が生れています。このとき、世宗の夫人であり、また真興王の愛妾として過ごしたので、おそらく真興王は艾松を孫娘ではなく、娘だと考えていたかもしれません。(後で結局ばれてしまいます。)

銅輪は美室のことがとても好きで、離してくれなかったようです。そこで、美室の弟である美生を使いにやって、女色を楽しむようにそそのかしました。これを漁色と称したのですが、ここに引っかかった女性が唐斗の妻です。銅輪は美生と一緒にその家を訪ねて関係を結びました。銅輪はこれにとどまらず、父王の後宮である宝明宮主とも体を重ねました。初めて塀を超えるときは宝明が許さなかったため、男を複数人率いて行ったのですが、毎晩関係を結びながら1人で塀を越えました。そうしていた7日目の夜に、1人で塀を越えていたとき犬に噛まれて死にました。

銅輪が死んだ後、唐斗の妻は美生の女性になりました。あまりにも頻繁に家の外に呼び出すため、唐斗が美室のもとを訪ねて懇願しました。「まだ母の手が必要な子がいるので、色供だけの妾になるようにしてください」

美室に叱責を受けた美生は女性を家に帰したそうです。

美室はまた、情夫の薛原との間に末の息子である宝宗を生み、真平王との間にも娘の宝華が生まれます。息子4人に娘4人、子どももたくさん産んだ女性ですね。薛原は斯多含の義理の弟です。

『花郞世紀』は美室が美生に劣らず能力も優れていると伝えます。真興王の寵愛があったものの、花郎の首長である源花として活躍しており、真智王を廃して、真平王を立てた後は、玉璽の管理者である璽主になって思道太后、万呼太后(真平王の母)と一緒に政事を動かしました。

新羅の宮殿で女性の息が強く吹いた理由は、真興王が国境を広げようと頻繁に戦場に出たため国中の政事を女性に任せたからだとも考慮されます。『花郞世紀』が伝えたところによると、美室が新羅の国政に大きな影響を持つのは事実であると考えられます。しかし、ドラマに出てきたほどではありません。老年の美室は自分の栄達より子孫の出世により気を遣ったというのが、『花郞世紀』の研究者の共通した見解でもあります。
  • Lim, Chul
  • 入力 2017-06-01 00:00:00

Copyright O2CNI All rights reserved.

目錄


      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア