Q.4人組でカムバックしたT-ARAについて教えてください。(上)

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A.
  • < 左からキュリ、ウンジョン、ヒョミン、ジヨン >

13番目のミニアルバム『What's my name』のショーケースを開催しながらT-ARAのメンバーたちは涙を隠すことができませんでした。

デビューしてから10年近く経ち、リリースされたアルバムが10枚を遥かに超えているのに涙を見せなんて、理由を知らない人は「おや、まあ」と苦笑いするかもしれません。しかし、事情を聞いてみると「ああ、泣くだけのことはある」とうなずくことになります。

T-ARAを初めてセッティングするときには舞台で踊って歌うきれいな女の子たちよりも歌が上手なボーカルグループを作成するつもりだったそうです。ヤン・ジウォン(元SPICAメンバー)とイ・ジエという歌唱力が優れた2人のメンバーも保有していました。しかし、デビューを控えてアイドルグループへと方向を急旋回しました。

T-ARAがデビューする2009年7月頃、5人組ガールズグループである4Minuteがデビューを控えていたうえに少女時代、AFTERSCHOOL、2NE1、KARAのカムバックが予定されていたからでした。ガールズグループ大乱に合わせるためにT-ARAは急いでソヨン、ボラム、キュリを迎え入れました。彼女たちが合流する代わりにヤン・ジウォンはイ・ヒョリが所属するB2Mエンターテイメント、イ・ジエはDreamTエンターテイメントに移籍していきました。T-ARAの数多くのメンバー交換*はデビュー前から行われていたわけです。

*デビュー以来、T-ARAから脱退したメンバーにはジエ、ジウォン、ファヨン、アルム、ボラム、ソヨンなどがいます。デビュー直前にスカウトされたボラムは韓国で有名な歌手であるチョン・ヨンロクの娘であり、ソヨンは少女時代の候補メンバーであったことから、デビュー前からメディアの注目を集めました。

デビューしたばかりのガールズグループが少女時代、KARA、2NE1などそうそうたる先輩たちと対等に対抗することは難しいことです。T-ARAはデビュー初期に第一人者ではなく第二人者の戦略を採用しました。流行を作るのではなく、流行の流れに乗ることにしたのです。もちろん実力がなければ第二人者の戦略も成功を収めることは難しいです。幸いなことにT-ARAは流れをよく読み、流れを主導する優れた能力を持った作曲家「シンサドンホレンイ」に曲をもらい、上手く消化してみせました。

『Bo Peep Bo Peep』はフックソング、『Roly-Poly』はレトロブーム、『Lovey-Doney』はシャッフルダンスのブームを引き起こしました。ヒット曲を出した後は、雰囲気が相反する作品で成功を収めたりもしましたが『Bo Peep Bo Peep』を出した後には『あなたのせいで狂いそう』、『Roly-Poly』の後続曲である『Cry Cry』と『Lovey-Doney』の後の『Day by Day』は、相反した雰囲気の曲です。

T-ARAはデビューした2009年、ゴールデンディスクの授賞式で新人賞を受け取り、翌年の2010年1月1日にはKBS『ミュージックバンク』で『Bo Peep Bo Peep』にて1位になりました。その後の歩みはまさに驚異的でした。ミュージックバンクで2週連続1位を達成し、SBS『人気歌謡』でトリプルクラウンを勝ち取りました。最初のアルバム活動が終わとすぐに『あなたのせいで狂いそう』をタイトル曲にしたリパッケージアルバムでカムバックしたのですが、相次いで各種音源チャート上位圏にランクインして一気にメジャーガールズグループ隊列にまでのし上がりました。

2011年はT-ARAの全盛期でした。2010年、様々な悪材料が重なりしっかりとした活動ができなかった不振を洗い流すように、3枚目のミニアルバムのタイトル曲『Roly-Poly』はMelonとGAONチャートで1位になり、最終的にはその年の音源チャートで1位を達成しました。少女時代とWonder Girlsの喉元にまで迫ったという話が自然と出回るほどでした。

韓国での人気を基盤にして、2011年8月に日本でショーケースを開いて、9月末にシングルアルバム『Bo Peep Bo Peep』を出して正式に日本に進出しましたが、このアルバムがオリコンのデイリーチャートとウィークリーチャートでトップに輝き日本での成功の可能性も大きく開きました。

2011年の栄光は2012年にも続きました。その年の1月に発表した5枚目のミニアルバムのタイトル曲『Lovey-Doney』は音源チャートを掌握し、音楽番組で1位を13回記録しました。デビューから3年にしてファンクラブ「Queen's」も創設して、7月には新しいメンバーであるアルムを迎え入れて少女時代を凌​​駕するガールズグループになるという野心を掲げました。

「上手く行っているときに気を付けろ」という格言がT-ARAほどにぴったり当てはまるケースはなかなかありません。最高の人気を謳歌していたその瞬間、ファヨンのツイッター事件を介して一瞬にして地獄に落ちました。

その事件の前までも、T-ARAと関連した問題がなかったわけではありません。ブリトニー・スピアーズの曲を盗作したという疑惑から、代理録音、艦隊これくしょんコスプレ騒動、あるメンバーの不良説など私生活が問題になったことはありましたが、過酷だと言えるほどのハードなスケジュールを黙々とこなしていく姿が騒動を鎮めてT-ARAを女性グループの1軍隊列に押し上げました。

このすべてをファヨンのツイッター事件が変えます。

活動が中断したわけではありませんが発表する曲をチャートの上位で探すことが難しくなりました。2012年9月に発売した『Sexy Love』がGAONチャート月間ランク3位になったりはしましたが、2013年10月に発表した『Number』は月間順位10位、同年12月に発表した『私、どうしよう』はGAONチャートの月間ランキングで35位、2014年9月に発表した『Sugar free』はGAONチャートの月間ランクで61位に留まりました。 2015年8月に発表した11枚目のミニアルバム『So good』のタイトル曲『完全に狂ってる』がGAONチャートの月間ランクで72位、韓国でT-ARAが人気を取り戻すのは不可能でした。

人気の低下は広告からも垣間見ることができます。

2012年、アイドルグループがお酒の広告モデルになることを自制してほしいというソウル市の要請が入ると、所属事務所は「T-ARAは億台の酒類の広告を拒否した」というプレスリリースを出しました。しかし、残念ながら日本でパチンコの広告を撮影したことが伝えられました。

日本では芸能人がパチンコに登場したりしますが、韓国の情緒は違います。ただちに「パチンコはよくてお酒はだめなのか?」という非難が殺到しました。

幸いなことにT-ARAには突破口がありました。2014年に中国市場をノックしたのですが、意外に大きな反響を巻き起こしました。ファンカフェ会員数だけで見るならEXOとBIGBANGの次で、ガールズグループの中ではダントツ1位です。さらに、中国の財閥もT-ARAのファンだと言うのですから錦上添花です。

しかし、所属事務所MBKエンターテイメントの立場では、中国での成功に満足することはできませんでした。中国で収めた収益は、中国の所属事務所である「Longzhen」が丸ごと持って行くからです。

T-ARAは苦心の末、韓国でカムバックすることを決心します。 2016年11月には、叙情的な雰囲気の『Tiamo』をタイトル曲にした12枚目のミニアルバムを出してカムバックしました。しかし、韓国人の関心は朴槿恵(パク・クネ)チェ・スンシルゲートに集まったうえに、I.O.I、TWICE、MAMAMOO、ヒョリン、EXOなどそうそうたる後輩グループがカムバックをしたため、T-ARAへの関心は微々たるものでした。放送局ではよくある控室インタビューどころかカムバックVCRも出してはくれず、11月18日の放送では1節目が丸ごと編集されるという屈辱も経験しました。

幸いなことに国民の反応は以前とは異なりそこまで悪くはありませんでした。メンバーたちの再契約の時点がカムバックと重なりました。2016年のカムバック舞台に立った6人のメンバーのうち、ソヨンとボラムの再契約が不発に終わりました。少女時代を夢見たT-ARAが4人組のガールズグループに生まれ変わった瞬間でした。

グループが歩いてきたこれまでの波乱万丈を考えると、涙が自然に流れることに納得することができます。
  • Lim, Chul
  • 入力 2017-06-19 00:00:00

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