A. | 1980年5月18日、あの日の光の街「光州(クァンジュ)」は韓国史の悲劇であり韓国人の自尊心です。 あの日、光州で新軍部の銃剣に屈しなかった光州の市民がいたからこそ、光化門のろうそくに火が灯ることができたのです。ほとんどの韓国人はこのような主張に同意することでしょう。 もちろんまだ、あの日の光州が南派スパイや北韓(北朝鮮)の特殊部隊の工作、デモを防いでいた戒厳軍のやむを得ない対応であると主張する人が存在するのは事実です。 ここで映画の話に戻りましょう。 『タクシー運転手』は5.18光州民主化運動と関連して2007年に公開された映画『光州5・18』以来、10年ぶりに製作された作品です。
彼が生命の危険を冒して撮影したフィルムは、北ドイツ放送を通じて報道され、その後同年9月に『岐路に立つ韓国』というドキュメンタリーとして制作されました。このドキュメンタリーがドイツに留学中だったカトリックの神父を介して国内に密輸され、1987年に全斗煥(チョン・ドゥファン)独裁を打破する「6月抗争」の起爆剤になりました。 釜山でもカトリックセンターで密かに上映されましたが、上映を主導した釜山の人権弁護士のなかには故・盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と文在寅(ムン・ジェイン)大統領が含まれています。 ユルゲン・ヒンツペーターを乗せて光州に行ったタクシー運転手「キム・マンソプ」がソン・ガンホが役を引き受けた主人公です。貧しいタクシー運転手は、光州まで行けば10万ウォンをくれるという言葉に魅惑されてハンドルを握りました。当時の10万ウォンは9級公務員の月給よりも多いお金です。 タクシーの運転手が実際に誰なのかは、まだ明らかになっていません。ヒンツペーターの記憶では「キム・サボク」ですが、ヒンツペーターがうわさをたよりに探したときにも見つけることはできず、映画の制作陣も努力しましたが、ついに見つけることができませんでした。当時の暗鬱としていた韓国の状況を勘案すると、偽名である可能性が大きいです。民主化運動の関係者をかくまったカトリックの神父が犯人を隠した罪で処罰されたほどでしたので、かなりの恐怖も感じたことでしょう。 ヒンツペーターは生前にキム・サボクにもう一度会えることを楽しみにしていました。「キム・サボク、本当にあなたに会いたいです。再会できるのなら私は今でもすぐに韓国行きの飛行機のチケットを購入してソウルに到着し、あなたが運転しているタクシーに乗って、この間に大きく変わった韓国を見たいと思います」。 ヒンツペーターの願いはかないませんでした。タクシー運転手は実際に持病や事故で亡くなったり、あるいは世間の視線が負担になって出て来ることができないのかもしれません。
映画雑誌『シネ21』の記者・専門家の評価は5.71。ある評論家は「既存の作品と差別化された素材として光州を描きはしたが、さて…」と6点をつけました。 しかし、映画を見た観客たちの評価は10点満点で9点を遥かに超えました。ポータルサイト「DAUM」では映画にたいするネットユーザーたちの評価が9.47に達しました。 興行成績もものすごいです。制作費150億ウォンにマーケティング費用を合わせて、損益分岐点となる観覧客数は450万人と読んでいたのに、予想をはるかに超えて公開7日目の8月8日、すでに500万人を超えてしまいました。 映画『タクシー運転手』の興行成績は、1980年5月18日の光州を見る韓国人の視点を反映します。あらすじはすでに世の中に知られているのに、何をいまさら見ようとしているのかと思われるかもしれません。 あの日、光州で何が起こったのかが知りたいのです。あまりにもメディアを制御したせいで、当時を生きていた韓国人でさえほとんどが実状をきちんと知りません。だから知りたいのです。
「私たちは見た。人が犬が引きずられるように連れて行かれ死んでいくのを両目ではっきり見た。しかし新聞にはただの一行も載せることができなかった。だから私たちは恥ずかしくて筆を擱く」。 |