Q.韓国の不倫スキャンダルの主人公キム・ブソンはどんな女優ですか?

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A. 常連客だった高校生を誘惑するトッポッキ屋のおばさん。夜遅くに三角関係に悩む男子学生が荒れる心を落ち着かせるためにトッポッキ屋のドアをノックします。眠りに着こうとしていたときに学生を見たおばさんの顔には喜色が表れ、お店のテーブルにはコーラの代わりに焼酎が置かれます。

  • 『マルチュク青春通り』のワンシーン

「大丈夫、これちょっと触ってみて」

この場面ひとつで人々の記憶から消えかけていた女優キム・ブソン(本名キム・グンヒ)は再起に成功します。1980年代、ファッションモデルとして活動していたキム・ブソンは釜山で開かれたファッションショーで映画の企画者にキャスティングされて演技の道へと踏み入れました。

本人の言葉によると演技の経験がなかったので断ったそうですが、提案する役がファッションモデルだという説明に承諾することになったそうです。デビュー作である『女が夜を怖がるものか』はタイトルとは異なり、成人映画ではなくスリラーに近い作品です。

1985年に公開された『愛麻夫人』シリーズの第3編にキャスティングされました。シリーズが第13編まで続いた『愛麻夫人』は新軍府の第5共和国が布いた3S(Sports、Screen、 Sex)政策が生み出した韓国成人映画の元祖と評価される映画です。シリーズごとに性機能障害だったり、仕事中毒の夫、性的な欲求不満を抱く既婚女性、絶倫の不倫男が登場します。制作陣は女性の性欲を露骨に表現する「愛馬婦人」というタイトルを掲げようとしましたが、審議により『愛麻夫人』へと修正されました。とにかく、『愛麻夫人』シリーズに出演しながらキム・ブソンにはアダルト女優という烙印が押されてしまいます。『愛麻夫人』シリーズのうちたったの1編に出演しただけなのに、キム・ブソンは自分のことをアダルト女優だと考える世間の視線があまりにも不当だと悔しがります。

『愛麻夫人』出演後に作品活動を続けていましたが、麻薬犯として摘発されてから脈が途絶えます。彼女が麻薬で検挙された回数は4件にもおよびます。最初は1983年にヒロポンの常習服用者として摘発され、1986年7月には大麻を吸引した疑いで刑務所に収監されます。1989年11月、再び大麻の吸引が摘発された当時には全国に指名手配まで下され、最後の2004年に大麻の吸引で検挙されてからは憲法訴願まで請求して有名になりました。

罪を犯しても悔しいと主張する人は多いですが、2度目の検挙の状況を見ると、悔しい面がないわけでもありません。劇場の社長の息子である内縁の男が吸ってみろというので何かも分からずに吸ったのですが、内縁の男が摘発されて一緒に吸引したと共犯として彼女の名前を出してしまったのです。この男はキム・ブソンに子供を一人だけ産んでほしいと求婚までしましたが、実際に子供が生まれると4カ月の赤ちゃんをつれて逃げてしまいました。奪われた子供を見つけてほしいと訪れた警察に行ったところで収監されてしまいました。実は内縁の男はすでに再婚までした既婚男性だったのです。

驚きのエピソードはここで終わりません。ずいぶんと後になって内縁の男が突然キム・ブソンが運営していたトッポッキの店に来て「どうしてこんなふうに生きるんだ」と巨額の慰謝料を渡して娘の教育も責任を持つと話して消えてしまいました。実は自分の事業が破産してしまったそうです。

とにかく、キム・ブソンは『マルチュク青春通り』で残した名せりふの人気により、端役だとしても『私の頭の中の消しゴム』『親切なクムジャさん』『君は僕の運命』などのヒット作にも出演して、俳優としての存在感を見せ続けます。しかし、最近には各種イシューの主人公として、さまざまな人に言及されているほうです。

そのうち、もっとも有名な事件が2011年ソウル市玉水洞(オクスドン)にあるマンションの暖房費不正事件です。

マンションの婦人会の会長と会員たちが長期間にわたり暖房費を出していなかったというのが不正の核心です。キム・ブソンはチラシを貼るなどの積極的な行動をとってソウル市の監査を導き出しました。監査の結果、このマンションの536戸のうち、2007年の1月から2013年の3月まで、冬シーズンの27カ月間、月別の世帯暖房費が「0ウォン」だったと推定される件数が、なんと300件、世帯の暖房費が9万ウォン以下だったケースも2389件にも及ぶことが明らかになりました。

キム・ブソンの活動で暖房費の不正が公論化され、その後、300戸以上の共同住宅は外部の監査を受けるようにする別名「キム・ブソン法」が通過しました。暖房費を横領?したとあるマンションの管理所長3人が立件されましたが、マンションの住民たちは暖房費0ウォンに対する説明すらせず、11世帯すらも嫌疑なしで事件が終結しました。

とにかく、キム・ブソンは何か不当だったり、自身が悔しいと感じた場合には我慢することがありません。済州島出身の彼女の母親が4.6事件で最初の夫と息子を亡くし再婚してキム・ブソン兄弟を産んだからか、ハン(恨)を受け継いでいるからなのかもしれません。

各種イシューの当事者となったこと以外にもキム・ブソンは米軍による女子中学生圧死事件、狂牛病牛肉輸入反対、米韓自由貿易協定反対、チェ・ジンシル法、イラク戦争派遣反対、チャン・ジャヨン事件真相究明などのデモや集会に顔を出してきました。

幼い娘をつれて演技だけで生計を立てることが難しく、トッポッキ屋も開いて、居酒屋も運営していたことがありましたが、『ラジオスター』出演当時、彼女と親しい歌手のキム・フングクがお坊さんを連れてきたこともあると話して、キム・フングクがあわてて「お前は放送でするべき話、するべきでない話の区別ができないのか」と怒ったこともあります。

キム・ブソンは暖房費の不正の暴露事件で韓国透明性機構から「透明社会賞」を受賞し、環境団体からは「2014年世界を明るくした人」に選ばれたりもしましたが、敵もたくさん作ってしまいました。各種のイシューに関わりながら、彼女の敵がさらに増えたのではないかと心配にもなります。

未婚のシングルマザーとして育てた娘のイ・ミソも俳優として活動中です。イ・ミソは『応答せよ1988』『シラノ恋愛操作団』などに出演しましたが、姿が若いころの母親に似ています。
  • O2CNI Lim, Chul
  • 入力 2018-10-01 00:00:00

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