Q.韓国のグループOH MY GIRLについて教えてください

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A. 2015年4月に8人組でデビューしたOH MY GIRLはその年の末、新しいアルバムのジャケットを撮影するために米国LAを訪問しました。

その時までデビューアルバムとなる1枚目のミニアルバム『Oh My Girl』と2枚目のミニアルバム『Closer』を出しましたが、注目を集めることができずにいた状態でした。童話のイメージで構成された2枚目のミニアルバムは星座を連想させる群舞で好評を得ましたが、冒険にとどまってしまいました。

  • OH MY GIRLのファンは、この当時にファンにならなかったことを残念がったりする。生産が中止された『Closer』アルバムは現在高値で売れる。(赤いマントをかぶったビニと神秘的なドレスを着たユア)



LA行は新しい出発をするための試みだったのでしょう。しかし残念ながらLA空港で15時間も待機してから帰国するという事態が起きました。入国拒否の事実が知られると噂が流れ始めました。最初は入国審査の際にスタッフがメンバーとの関係を説明しながら「sister」と話したことが誤解を招いたと伝えられました。若い女性8人の姉妹と50枚を超える衣装を持っていたことから、性売買営業のためだと誤認されたというのです。しかし米国の国土安全部とのインタビューを通じてOH MY GIRLの入国拒否は性売買の疑いではなく入国面接で虚偽の陳述をしたからだという事実が確認されました。

韓国と米国の査証免除プログラムは90日以内ならビジネス目的でも訪問が許可されますが、インタビューの過程でアルバムのジャケット撮影、コンサートに参加するという事実は明らかにしないまま、「旅行」とだけ話したことが偽と判明したせいで入国を拒否したというのです。

一言で所属事務所WMエンターテイメントのミスによりOH MY GIRLのメンバーは苦労して、性売買を行う女性だという誤解を受けたという記事でイメージばかりが汚されてしまいました。WMエンターテイメントが5人組ボーイズグループB1A4を保有しているとはいえ、中小企画会社だからか広報などの所属事務所の支援が不足して見えるのは事実です。

2016年7月に渋谷で行われた日本での最初の公式日程にも所属事務所の判断ミスがありました。会場の収容人数が150人だったため、2日間のイベントの定員は300人に過ぎませんでした。しかしチケット販売日になんと600人ほどが集まったのですが、1人当たりのチケット購入を4枚まで可能にしたことから、集まったファンの中で75%がチケットを手に入れることができないという事態が生じました。そのせいで韓国のお金で5万ウォンほどのチケットが70万ウォン台で転売されたりもしました。

8人組で出発したOH MY GIRLはオリジナルメンバーのジニ(申惠眞)が契約解除で脱退し、2017年11月に7人組に縮小・再編されます。子供の頃から芸能人を夢見たジニはメンバーの中で最も長い4年の練習生生活を経てデビューしました。練習生時代に故郷である浦項で学校に通って週末にはソウルに上がってきて練習する過酷なスケジュールで苦労したそうです。一番大変だったのは過酷なダイエットでした。拒食症に低体温症、無月経、浮腫、低血圧などに苦しんで結局チームを去りました。

  • 左からミミ、スンヒ、ユア、アリン、ジホ、ビニ、ヒョジョン

大衆のマイガールになるために生まれたOH MY GIRLはデビュー前、所属事務所の先輩であるB1A4のコンサートに参加しながら認知度を築きました。スンヒは『スーパースターK 2』、『驚くべき大会 スターキング』、『全国のど自慢』などに出演し、SBSの『歌謡大祭典』にも練習生が多数参加してデビュー前からそれぞれ認知度を築いていました。

OH MY GIRLが自分たちの名前を大衆に知ら始めたのは2016年5月に出した3枚目のミニアルバムのリパッケージアルバム『Windy Day』からです。チャートも1週間にわたりとどまりました。デビュー後初めてSBS MTV『THE SHOW』で1位候補に上がったりもしました。『Windy Day』の活動が終わって半月余り後の8月初めに発表した『Listen to may word*』​はMelonチャートで9位にランクインして、これに支えられてMnet『M COUNTDOWN』で1位候補に上がったのですが、ヒョナと対決したためトップに上り詰めることには失敗してしまいました。それでも地上波音楽放送でも順位を引き上げ、グループの名前を確実に知らしめました。

* WMエンターテイメント代表のイ・ウォンミンがマネージャーとして活動していたガールグズループPapayaのデビュー曲。OH MY GIRLがリメイクした。

年が変わって2017年元旦の『アイドル陸上大会』で400メートルリレーで優勝し、お正月のガールズグループ大捷『家門の栄光』でも優勝します。しかし、いざ本業であるステージでの成績は期待に及びませんでした。4月に出したミニアルバム『Coloring Book』は新曲発表から3日目にチャートから押し出され本格的な音楽放送活動により『THE SHOW』で1位候補にもなりましたが、GFRIENDとGirl's Dayの壁を超えることができませんでした。7人組へと再編した後、2017年11月にカムバックする予定だったのですが、Red Velvet、EXID、TWICE、Wanna One、Lovelyzに少女時代のテヨンまで活動を開始した状況でカムバック時期を2018年に延期しました。そのおかげで(?)幸いなことにJTBCのバラエティ番組『知ってるお兄さん』に出演、カムバック曲『Secret Garden』を披露することができました。

1月9日に発表された『Secret Garden』は韓国最大の音源サイトであるMelonで23位にランクインし、2位まで順位を引き上げました。これに支えられて1月17日~19日のあいだにMBC MUSICの『SHOW CHANPION』、『M COUNTDOWN』、KBS『ミュージックバンク』で1位候補になりましたが、INFINITEという強敵ににより1位の栄光は後回しとなりました。

そして、ついに2018年1月23日『THE SHOW』でチョンハを抑えてデビュー1,009日目にして感激の1位に輝きました。翌日の1月24日の『SHOW CHAMPION』でもそうそうたる候補と競合した末、1位となり2冠王を勝ち取りました。

  • デビュー1009日目にして1位になった瞬間、ビニはファンに跪いて感謝し泣いた



ヒョジョン:崔效定(チェ・ヒョジョン) / 1994.7.28生まれ / 158㎝ / リーダー / メインボーカル。スマイルキャンディという別名にふさわしく、常に笑顔が魅力的だ。放送関係者から聞こえる話では控室でも手を取り合っているほどチームの雰囲気が良い。メンバー同士でいたずらをたくさんしながらも年上のメンバーには敬語を使うが、ヒョジョンがリーダーとしての役割を果たしているからだという評価を聞く。OH MY GIRLキャストでビニがバンジージャンプの罰を受けることになったが、高所恐怖症のビニの代わりにヒョジョンがバンジージャンプをした。小学校2年生から中学3年生までの7年間、義王市合唱団に属した。歌手ペク・ジヨンがすごく好きで中学校時代に学校でペク・ジヨンの『愛さない』を歌った。幼いときに父親と死別して母親のもとで育ち、ボーカル教室に通うために保育園、焼肉店、豚足店、チラシ回しなどのアルバイトをした。おばあちゃんについて山で山菜を採取し、高麗人参を山で採る人になって家計に貢献しようかと真剣に考えていた。

ミミ:金美賢(キム・ミヒョン) / 1995.5.1 / 164㎝ / メインラッパー・メインダンサー。舞台の上でのタフな姿と魔性の声で口ずさむラップで女性ファンを集めているメンバー。しかし日常生活での声はとてもかわいらしい。よく使う言葉は「オモ(あら)」。様々なトーンの「オモ」が存在するが、最も多く使うトーンは低めの「オモ↗」。よくチームのメンバーが真似して困っている。さらにチーム内で1~2位を争う弱虫だ。三姉妹の末っ子として生まれ、姉たちの夢が歌手だったことから学生時代にダンスサークルの練習をしようと歩いていたときに歌手トレーニング教室で開かれたオーディションを受けてWMエンターテイメントの練習生になった。

ユア:柳諟我(ユ・シア) / 1995.9.17 / 160㎝ / リードボーカル / メインダンサー。小学校時代、陸上選手として地域大会で入賞、中学校からスカウトを受けたこともある。陸上は得意だが球技には自信がないという。『アイドル陸上大会』でOH MY GIRLが400メートルリレーで優勝することに大いに貢献したが、50メートル競走で組予選で脱落する屈辱を経験した。中学生の頃にBoAをロールモデルにして歌手になることを決意したが、MBC『ラジオスター』で高校までストーキングに苦しめられたことから、これを避けるためにアイドルになったという言葉が物議をかもしたりした。

スンヒ:玄勝熙(ヒョン・スンヒ) / 1996 1.26 / 159.9㎝ / メインボーカル。感情表現が自由な眉を持つ。メンバーの中でデビュー前の経歴が最も華麗だ。歌手の夢を持って子供の頃から信じられないほどの歌の大会、『スターキング』、『全国のど自慢』、『スーパースターK 2』など、あらゆるコンテストに参加した。15歳に挑戦した『スーパースターK 2』でスーパーウィークまで行く底力を見せたりもした。『スーパースターK 2』以降、ブレイブサウンドなど複数の所属事務所を転々としながら練習生として過ごし、2014年の終わりにWMエンターテイメントに入社し、入社3カ月でメインボーカルとしてデビューした。歌を正式に学んだことはないが、小学校の時に民謡を学んで発声訓練は十分に受け、舞台にも慣れていた状態。小学校の先輩の卒業式でも国歌を歌っており歌手になる芽は十分にあった。所属事務所が作ったニックネームは茶目っ子。ビートボックス、民謡バージョンの歌謡、地下鉄の音、お金持ちの家のブザー音まで披露できる。バラエティ番組での活躍も目覚しくコメディアンたちが「コメディアンになれ」という冗談で勧誘したりする。

ジホ:金祉呼(キム・ジホ) / 1997.4.4 / 165㎝ / リードボーカル。冷たくお嬢様のような外見とは異なり、非常に活発な性格の所有者で所属事務所が付けたニックネームもエンドルフィンだ。目がとても大きい。チームを代表するビジュアル担当だ。デビュー前、忠清北道の永同郡で繰り広げられた「老斤里良民虐殺事件」を扱った映画『小さな池』に端役で出演した。WMエンターテイメントで約4年間練習生を送ったが、脱退したメンバーのジニに次いで長い期間だ。健康を睡眠で解決するのだが、体調が少しでも悪いとすぐに寝てしまう。

ビニ:裵有彬(ペ・ユビン) / 1997.9.9 / 160.5㎝ / サブボーカル。子供の頃から芸能人を夢見ており、子役俳優としてドラマ『製パン王キム・タック』と『成均館スキャンダル』に端役で出演した。小学生の頃にPrettynという3人組ガールズグループの2期メンバーとして活動したこともある。チーム内での陸上のエースだ。父親がボクシング、母親が陸上競技、兄が柔道選手として活動しており、家族の履歴のためか本人もかなりの運動神経を誇る。何かを学ぼうとする熱意がすごいが、練習生生活をする前に高校1年生の時までクラスで5~10位の成績を維持した。トークが得意で、チームのメンバーが「トクスニ」というニックネームをプレゼントした。デビュー当時からおかっぱを固守しており、おかげで多くの人々から日本のアイドル歌手だという話をよく聞いた。

アリン:崔乂園(チェ・イェウォン) / 1999.6.18 / 165㎝ / サブボーカル。メンバーの中で最も愛されている末っ子。白い肌に可愛い顔でガールズグループファンの好みを狙い撃ちするメンバー。男性ファンにグループを知らせる代表選手だ。かわいいビジュアルにより実際の年齢よりも幼く見える。2015年6月13日、蚕室(チャムシル)で行われたプロ野球斗山ベアーズのホームゲームではグループが始球式と祝賀公演をする場面を撮影した写真が話題になったが、アリンが断然際立っていた。
  • Lim, Chul
  • 入力 2018-07-11 00:00:00

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