Q.日本の歌が原曲である歌の中で韓国で人気があった歌を教えてください。(4)

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A. MBCの競演番組『覆面歌王』で惜しくも準優勝だけ何回も記録したチョ・ジャンヒョクは思いがけず歌手としてデビューしたエピソードを持っています。

チョ・ジャンヒョクは1982年に封切りした日本映画『転校生』の著作権を買ってリメイクした、ファンタジー学園もの『チェンジ』の主題歌を作りました。歌を歌う歌手は他にいました。ところが映画のOSTを歌う歌手がやむを得ない事情であきらめたせいでチョ・ジャンヒョクが直接歌ったのです。それがチョ・ジャンヒョクを歌手にさせたということです。

[/img1]全盛期時代のチョ・ジャンヒョク[/img1]

彼の一番のヒット曲である3集アルバム収録曲『中毒になった愛』も一応エピソードがあります。

また君に会えるだろうか
このように君の家まで来てしまったのさ
君は僕のもとを去っていっても毎日君を見送ってあげた習慣が
涙で残った(下略)

チョ・ジャンヒョクは最初の節である「また君に会えるだろうか」まで曲を書いたのですが、メロディが続かないので引き出しの奥底へしまっておきました。そしてある日ふと引き出しの中から取り出し、目を通してみたところ次から次へと感情が溢れ出しました。本人の話では焼酎を1杯飲んだ後、歌の最後を綴ったそうです。酒様(チュニム)*の力を借りたおかげでしょうか?『中毒になった愛』はトップ5まで上がりましたし、後続曲『LOVE』もいい反応を得ました。

* プロテスタントはイエスを神様(チュニム)と称しますが、酒好きの人たちは酒を「酒様(チュニム)」と言います。

5集を出して6集を出す頃、彼の感性は枯渇したようです。自分が作詞作曲した歌はなくなり、6集アルバムはチュ・ヨンフン(朱栄勳)の作った歌がたくさん使われています。チョ・ジャンヒョクに曲を与えたチュ・ヨンフンも2000年代中盤以後は、まともなヒット曲を出すことができませんでした。だからでしょうか?

チョ・ジャンヒョクは2002年のSBSドラマ『明朗少女成功期記』で日本の国民デュオと呼ばれたCHAGE and ASKAの『Love Song』を翻案して歌いました。

CHAGE and ASKAは日本大衆文化の開放を記念するイベントとして財団法人韓国女性基金(現韓国女性財団)に招待され2002年8月に来韓公演をしました。当時韓国で最も人気があった日本のアーティストはX JAPANでしたが、X JAPANが解散した頃だったため、次に選んだアーティストがCHAGE and ASKAでした。後にASKAは1999年12月末に福岡で開かれたライブ公演直後オファーを受けたという事を伝えながら、「レコードが販売されたことも、テレビやラジオで歌が流れたこともない韓国でコンサートが決して成功するはずはありませんが、成功させなければならない心境でした」と語っています。

全国に隠れていたCHAGE and ASKAファンたちが少しずつ姿を現し観光ツアーとしてソウルに行った6000人の日本ファンと共に蚕室(チャムシル)オリンピック公園体操競技場に訪れましたが、公演会場を熱気で満たすには力不足でした。

  • CHAGE and ASKAの来韓公演シーン



結論を言うとCHAGE and ASKAの来韓公演は悲惨にも失敗に終わってしまいました。しかし韓国に日本大衆文化を伝達する出口を開く役割をしたことは否定できません。チョ・ジャンヒョクがCHAGE and ASKAの曲をテレビドラマのOSTとしてリメイクしたからです。

チョ・ジャンヒョクのCHAGE and ASKAのリメイクはここで終わりませんでした。同じ年の年末に放送されたSBSドラマ『星を撃つ』のOSTでCHAGE and ASKAの『On Your Mark』をカバーした『In My Dream』を歌ったのです。

グループPOSITIONがデビューした直後、アーティストとして地位を確立するできなかった頃、日本の歌手にお世話になった反面、チョ・ジャンヒョクは感性が枯渇してアイディアが出なくなった頃、日本の歌手に助けを求めたようです。

短い全盛期が過ぎてからチョ・ジャンヒョクは7年間、イシモチを売っていました。そして『私は歌手だ』と『覆面歌王』で世の中に再び歌を聞かせてくれました。惜しくもこの二つの番組で日本歌手の曲をリメイクした歌は出ませんでした。
  • Lim, Chul
  • 入力 2019-01-02 00:00:00

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