Q.サセンペンのせいで起きた代表的な事件や事故があれば教えてください。(3)-韓国初のサセンペン、小説家キム・ユジョン

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A. YouTubeもSNSもなかった時代、スターに会いたい思いが切実だったファンたちは会社や宿所に行きました。仕方がありませんね。心が進む方へ、体も進まなければなりませんから。

  • 朝鮮初のサセンペン(?) 小説家キム・ユジョン。『春春』、『椿の花』、『山里の旅人』など珠玉のような短編を残した



1930年代に活動した小説家キム・ユジョン(金裕貞)*もものすごいサセンペンの中の1人でした。ヨンヒ専門学校(現 延世大学校)に通っていた頃、パンソリの名唱(歌の名人)パク・ノクチュ**をしつこく追い回しました。キム・ユジョンがパク・ノクチュを初めて見たのは、銭湯の前だったそうです。入浴を終えて出てきて門の前に立っていたパク・ノクチュを見て一目惚れしてしまいました。

* その時代の天才文人、イ・サン(李霜)は互いに病苦と貧困で苦しんでいたため、同伴自殺をしようと言ってキム・ユジョンを追い詰めたが、ユジョンが反対したため失敗に終わった。しかし二人は18日という間隔で1937年20代という若さで生涯を閉じた。
** 23歳でレコーディングを始め、春香伝(チュニャンジョン)、興甫伝(フンボジョン)、沈清伝(シムチョンジョン)など唱劇の女性主人公として舞台によく上がった。1964年重要無形文化財パンソリ芸能保有者と指定された。

1928年の春に開かれた模唱大会にパク・ノクチュが出演するという知らせを聞いたキム・ユジョンは、大会が終わった後周りの人に聞きながら控室に行き話をした後、本格的に彼女を好きになります。ラブレターを受けとり、びっくりしたパク・ノクチュは「あなたは学生で、私は妓生(芸能人)だから、無駄なことは考えずに勉強を一生懸命しなさい」と言い聞かせましたが、ごうごうと燃え上がった火は簡単には消えないでしょう。

パク・ノクチュの弟と親しくなったユジョンは彼を通じて自分の音声を録音したテープから始まって他にもいろんなプレゼントを送り始めました。

次の年、パク・ノクチュが父親の虐待でストレスを受けて、朝鮮劇場の支配人であるシン氏との愛情問題で自殺をしようとしたという知らせを聞いた時は、学校を自ら退学して病院に訪ねて行き、自分と結婚しようと告白しました。パク・ノクチュがきっぱりと断ったので、彼女の家の前で大声で号泣する姿を知人たちが目撃したりもしました。

その後、パク・ノクチュが院山(ウォンサン)の富豪と結婚したということが知らされ、キム・ユジョンは「僕に金がなかったから、そうしたのか」という内容の手紙を送って本格的にパク・ノクチュを追い込み始めます。ある日は「今日は君にとって運がいい日だ、あの町角で君を待って3時間、万が一、僕に会ったら君は死でいただろう」という血書を送りました。さらにパク・ノクチュが乗っている輿に接近して彼女を棒で気絶させて拉致するという試みまでします。

驚愕したパク・ノクチュが次の日、家にユジョンを呼び出し「私は年齢もお金も何も必要ありません。ただあなたに気持ちが向かないのが私の誤ちということですか?」と話しましたが、この日が二人の最後の出会いとなったそうです。

キム・ユジョンの作品にはユーモアが自然と溢れていますが、覚えてしまうほどよく聞いていたパク・ノクチュの主なレパートリーである興甫歌(フンボガ)と春香歌(チュニャンガ)から影響を受けたと見られます。

宿所に行ってむやみに待てば最終的には会える確率が高いでしょう。2000年以前は家の前にうずくまって座っているファンを見て喜んだ芸能人もいたそうです。おやつも分けてあげて、話も少しして、そんな日はきっと胸が高まり眠れなかったことでしょう。

彼らのことは宿所ファンと呼びました。最近は彼らのようにすれば、ストーカーと誤解されて警察署に直行する可能性が高いでしょう。もちろん当時も負担に思う芸能人もいたでしょう。しかしほとんどの芸能人が親切に接しなかったとしても、黙認していました。

ファン自ら暗黙的に規律を定めて、秩序を守りました。「廊下だけで待って家には入らない」、「許諾なしで写真を撮らない」、「出てこいと催促したり家に入るスターの襟をつかまない」、「ゴミをむやみに捨てたり周囲を散らかさない」

それでも家の外に女性ファンが陣を敷いていると思うと服もゆっくり着替えることができなかったでしょう。

数多くの女性歌手がロールモデルとするイ・ヒョリ(李孝利)も宿所ではないが、会社の前に陣を敷いていたH.O.Tの追っかけでした。DSMメディアにピックアップされてグループ、Fin. K.L.(ピンクル)としてデビューする前、トニー・アン(本名、安勝浩)に会うためにSMの前で待っていた時にSM関係者の目に留まって練習生として過ごしたこともあります。

最初に紹介した小説家キム・ユジョンやイ・ヒョリも成功した追っかけの列に加わるでしょう。
平凡な人は胸の奥に秘めておくだけ、行動に移すことができない情熱を抱いているので自分の道を進めば大きな道が開かれるようです。
  • Lim, Chul
  • 入力 2019-01-24 00:00:00

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