Q.韓国で有名な日本料理の専門家は誰ですか?

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A.
漫画家の寺沢大介『ミスター寿司王』(日本『将太の寿司』)。1990年代に人気を集めた料理マンガです。日本だけでなく韓国でもかなり人気がありました。

韓国で寿司が一番大衆的な日本料理として定着する時に、一番大きな影響を与えたと言えるでしょう。
寿司職人の父親の元で育った少年が、悪徳企業の横暴で貧乏に苦しむ中、最高の寿司職人になるという話が読者集めたようです。


韓国で正式に発売された版本には新羅(シルラ)ホテルのアン・ヒョジュ料理長(今は「すし孝」の代表)の推薦の言葉が入っています。

アン・ヒョジュは韓国で「ミスター寿司王」と呼ばれた人物です。

1985年から2003年まで新羅ホテルの日本料理レストラン「有明」のシェフとして働きましたが、握ったご飯粒の数を希望通りに、コントロールする能力があるとして「寿司王」という称号を与えられました。

漫画作家、寺沢大輔との縁で「寿司王」と呼ばれるようになったというのが正しいかもしれません。 韓国を訪れた大輔は、「韓国にだけあるすしを作ってくれないか?」とお願いしました。

作ってみると答えましたが、一週間後に来るという作家に何を出せばいいか分かりませんでした。魚は韓国も日本も同じなので、悩んだ末に韓国産で有名な高麗人参を素材に寿司を作ることにしました。 ゆでたり、生で作ったり、煮込んだり。そうして完全に沸騰させずに、摂氏90度くらいのタレに一晩寝かしたところ、サクサクとした食感も維持され、味も染み込んでいて、高麗人参の苦味も抜けていました。

それで寿司を作って作家にもてなしました。アン・ヒョジュのすしを食べた大輔が、「これを本に載せていいか?」と聞いたため、作り方も教えてあげたそうです。このすしは『ミスター寿司王』番外編に紹介されました。

寿司王アン・ヒョジュの少年時代の夢はボクシング選手だったそうです。全国体育大会に全北(チョンブク)代表として出場し、学生選手権大会で準優勝をした経歴もあります。

海兵隊で兵役を終えてから、再度社会に足を踏み入れた歳は27歳でした。ボクシングをやり直すには遅い歳でした。故郷の先輩の紹介で日本料理店に入りましたが、理由はとりあえず食べていくことを解決できると思ったからだったそうです。そこで刺身を作る技術を身につけた後、江南(カンナム)にある日本料理店「一番館」に職場を移しましたが、そこで一生の師匠として侍っているイ・ボギョンさんに出会いました。

イ・ボギョンさんは真面目で精神力の強いアン・ヒョジュに可能性があると判断し、料理の技術と共に衛生を強調する料理哲学を伝授してあげたそうです。師匠の紹介で自分の名声を築く新羅ホテルに入りました。

新羅ホテルで本格的に技術を磨き始めたアン・ヒョジュは寿司に人生をかけることにしたそうです。 毎年、東京と北海道の寿司屋に研修に行って技術を磨きました。

彼の腕はすぐ噂になりました。味もおいしいですが、お客さんの注文内容を記録しておいて、もう一度訪ねた時、好みにぴったりと合う寿司を出す真心には、誰もが感動しました。

寿司王のエピソードからも分かるように、彼には限りない探究心があります。

新羅ホテルで働いていた当時、夢で見た料理を翌日に作り、「夢の鍋」という名前で提供したこともあるそうです。今は粘液の豊富なカタツムリを日本料理に融合させる方法を多角的に研究しているそうです。

アン・ヒョジュシェフが働く「すし孝」清潭(チョンダム)店は、ソウル江南区清潭洞ユヒョンビルの2階に位置しています。


  • Lim, Chul
  • 入力 2019-09-06 00:00:00

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