Q.40代でママになった韓国の芸能人について教えてください(上)

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A. 放送人のカン・ウォンレ(姜元來)とキム・ソン夫婦の人生には実に多くの屈曲があります

カン・ウォンレはダンスグループCLONのメンバーで、全盛期に交通事故に遭い下半身を失いました。交通事故後、絶望的な気持ちになったカン・ウォンレはすべてに対して冷笑的で荒っぽい性格に変わってしまいました。

同僚であり恋人だったキム・ソンは、そんなカン・ウォンレのそばを離れませんでした。2003年10月、2人が結婚式を挙げた後、カン・ウォンレはリハビリに専念し「車椅子ダンス」を披露し、再起に成功しました。

2人の結婚生活は順調ではありませんでした。カン・ウォンレの浮気が夫婦関係を脅かしました。一時、インターネットに流れていたキム・ソンの映像を見ると、カン・ウォンレは妻が地方に行っている間にも浮気をしたものと見られます。子供を持とうとする気持ちが、夫婦仲を支える力になったでしょう。

  • キム・ソンと息子のカン・ソン



2人はカン・ウォンレが交通事故に遭った直後の2001年8月に結婚し、その時から試験管受精を試みましたが、何度も失敗したそうです。7度目の試みが水の泡となった後、一時、放棄状態でした。2013年8度目の試みの末に妊娠に成功しました。その時、キム・ソンの年齢が41歳だったのです。

七転八起の末に得た息子のカン・ソンの胎児の時のニックネームは、「プレゼント」でした。夫婦がどれほど喜んだのか、ニックネームを見ただけでも簡単に推測できます。

放送人のホ・スギョン(許秀敬)の出産ストーリーもドラマチックです。さらに韓国社会に静かな波紋を呼んだりもしました。

  • MBCのキャプチャー



2008年1月、40代になったホ・スギョンが試験管ベビーを出産した時は、非婚状態でした。
最初の夫である俳優チャン・セジンに続き、再婚した映画制作者ペク・ジョンハクとも離婚し、一人暮らしの時だったのです。

結婚生活をする時、2度の子宮外妊娠で自然妊娠が不可能だという判定を受けました。その後、人工授精を試みましたが、2度失敗しました。

しかし、ホ・スギョンは諦めませんでした。母親の勧めで精子の寄贈を受け、試験管ベビーの施術を行い妊娠に成功しました。こうして生まれた娘の名前を自分の名字を受け継がせて「許恩書(ホ・ウンソ)」と名付けました。

ホ・スギョンは40歳になってから娘を育てながら、「すでに完璧な幸せをプレゼントされた」と表現しましたが、一部では試験管ベビーと非婚の母を美化させるという批判もありました。男たちの存在理由が薄れるという不安からでしょうか?

とにかく、非婚の母を韓国社会の話題にさせたという点だけでも、ホ・スギョンの出産は注目を浴びました。

ホ・スギョンは娘のビョル(ホ・ウンソがお腹にいた時のニックネーム)が初めて切った爪から髪の毛、子どもの時に声を録音したテープまで全部保管しているそうです。娘が高校に入ったらキャビネットを作ってきれいに並べておく予定だそうです。

その時からは娘が「お母さん、私の人生は私のものだ」と言うと思ったからです。

娘を出産した後、ホ・スギョンはコン・ジヨン作家と別れた韓神(ハンシン)大学のイ・ヘヨン教授と出会い、3度目の結婚をしました。
  • Lim, Chul
  • 入力 2020-01-14 00:00:00

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