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[モノの哲学] セルフ式ガソリンスタンド-健康的な実用主義には「平等」がある


  • [モノの哲学] セルフ式ガソリンスタンド-健康的な実用主義には「平等」がある
初めて米国の地を踏んだのは、15年前ごろだった。ただ、この国を訪ねればそれでいいという漠然とした若き日の対策のない旅行だった。友人が住んでいるロサンゼルスを目的地にとったおかげで、滞在中に米国の西部をレンタカーで幅広くレースする豪奢を享受した。

米国の地は私が想像していたよりも、はるかに広かった。公共交通機関ではカバーすることができなかった。個人それぞれが自己運転で、ある地域から他の地域に移動することでしか、円滑な生活運用ができない社会であることを目で確認することができた。そのため、どこにでもある所は、ガソリンスタンドだった。都心から離れ、終日走っても人を見ることができない砂漠地帯にも、人工の痕跡は常にガソリンスタンドと一緒に登場した。

そのとき、印象的だったモノは「セルフ式ガソリンスタンド」だった。荒涼とした砂漠の道を数時間、横切ってきたにもかかわらず、ガソリンスタンドには韓国のように赤い服を着て、客を出迎える従業員はいなかった。ガソリンスタンドとは、ただメーター機とクレジットカード精算機が付いた四角ボックスが設置された場所であるだけだった。スペースがあっても人はなく機械だけがある、これが米国的生活空間の骨組みだった。

このセルフ式ガソリンスタンドは、今や韓国にも「節約ガソリンスタンド」という名で導入されている。ところが、このモノは韓国では発想が全く別の方法で使用されている。米国のセルフ式ガソリンスタンドから私が受けた最も強力な印象は、米国的実用主義の実体だった。韓国では、このモノは人件費を削減することで安価に燃料を提供するという点に焦点が当てられている。

米国では、「節約ガソリンスタンド」という概念自体がない。すべてのガソリンスタンドで、給油は「自分の手」で直接するからだ。トラックを運転してきた人もタクシーの運転手や高級車に乗ってきた人も、車から「自分の足」で降りて「自分の手」で給油機を持って、クレジットカード精算をしなければならない国が米国だ。

時々、世界最高の符号ビル・ゲイツのような彼らが、国際フォーラムに参加するテレビ画面を見る。そのたびに印象的なのは、最高経営責任者が、常に自分の手で007カバンを持ち歩いているという「平凡な」事実だ。これが米国の実用主義だ。健康的な実用主義には「平等」がある。
  • 毎日経済 ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-12-11 16:04:05




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