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[コラム] 似ているようで違う韓国の花闘と日本の花札


ほんの数年前まで、名節(ソルラルや秋夕などの祝日)には家族で花闘(韓国で花札は花闘、ファトゥと呼ばれる)で遊ぶ姿がよく見られました。久しぶりに兄弟たちが母親と一緒に花闘遊びの一種である「ゴーストップ」を打っているのを横から見ていた嫁が「あら、お義母さん、どうしましょう、カスばかりですね」と、心配しているのか、嫌味を言っているのか、口出しをしたりしていました。

おそらく、今でも一部の家庭では、このような美しい(?)風習が続いているのかもしれません。

  • [コラム] 似ているようで違う韓国の花闘と日本の花札
花闘は日本から渡ってきた遊びですが、かつて韓国人が集まれば必ず花闘で遊んだために花闘が古くから伝わる韓国固有の遊びだと思っている人もいるほどです。

日本では花闘を花札と言うそうですね。花札はポルトガルの宣教師が持ってきたトランプが変形したものだそうです。トランプを使用してあまりにも賭け事をしていたため​、規制を避けるために、きれいな絵が描かれた札で賭け事をし、発覚したら「東​​洋画を鑑賞していた」と言い逃れをしたそうです。本当なのかは分かりませんが。

韓国でも高齢の人は「花闘を打とう」という言葉の代わりに「東洋画を鑑賞しよう」という言葉を使ったりもします。だからといってトランプを洋画とは呼びません。

韓国に花闘が渡ってきた時期は朝鮮後期と言われており、日本から伝わっただけに、日本のルールと同じ遊びの方法もありました。サムボンまたはユッペク(六百)というゲームです。詳細なルールは省略しますが、日本の「花合わせ」のようなものだと見ることができます。

過去には、子どもたちがルールが比較的簡単なミンファトゥで遊んで、大人はユッペクで主に遊びましたが、今では「ゴーストップ」に押されてほぼ消えた状態です。

ポルトガルのトランプが花札に変わったように、1950年代に、かつて花闘を韓国式に変えようとする試みもあったのですが、ローカライズに失敗し、代わりに札が1ミリ程度の薄いプラスチック材質で床に叩きつけるとカタカタと音のする面白いものに変わりました。

しかし、花闘の札の構成は日本とほぼ同じです。絵もほぼ似ていて、花闘を打つ人は、自分も知らないうちに日本の文化に接することになります。

花闘の札48枚は1年12カ月を象徴します。1月には松鶴、2月は梅、3月は桜、4月は藤(黒萩)、5月は花菖蒲、6月は牡丹、7月は萩(紅萩)、8月はススキ(空山)、9月は菊、10月は紅葉、11月は桐、12月は柳(雨)。括弧の中は、韓国で主に使われている名称です。

花闘をした経験のある方は、分かるでしょうが日本と月を数える方法が違うのは、11月の桐と12月の柳です。日本では桐を意味するキリ(桐)が「終わり」という意味であるキリ(切り)と発音が同じであるため、1年の最後の月である12月になっていますが、韓国ではそういった意味が伝わらずに変わったようです。

日本の花札では8月が信じられないほど多くのススキに覆われた山の絵ですが、色が単調なススキがなくなって木も草もない空山となってしまいました。傘を持っている姿から「雨」と呼ばれる12月(日本では11月)の形は、韓国と日本が逆になります。

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  • < 12月の違い(左は日本、右は韓国)>

日本の花札では、雷の落ちる、あの世への扉を描写していますが、韓国の花闘ではただの殻にすぎません。

日本で花札の12月を描きながら画家が苦心した意味が、韓国の花闘では衰退してしまったわけです。賭け事をしながら、家族同士の軽い遊びで花闘を打ちながら、ふと人生の深さを感じることもあったのではと思うのと、少し残念な気もします。
  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2016-02-08 08:00:00




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