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[コラム] 保守とは何だろうか?


  • [コラム] 保守とは何だろうか?
大統領選挙街道を走っていた潘基文(パン・ギムン)前国連事務総長が早期辞任しながら、このような言葉を残しました。

「保守の消耗品になることはできない」

「保守のためだけに働く人は、大統領の資格がない」という言葉も辞退の記者会見で出ました。

UNから韓国に帰ってきた後、潘総長を最も歓迎した集団は保守政党だったでしょう。朴槿恵(パク・クネ) - チェ・スンシル(崔順実)ゲートで座礁の危機に陥ったセヌリ党は、彼が新しいキャプテンを務めてくれることを切望しました。

潘基文総長がセヌリ党の大統領選候補で出ると明らかにしたことはありません。政派を越えて新しい政治を開くという抱負を明らかにしただけでしょう。しかし、野党では文在寅(ムン・ジェイン)という強力な大統領選候補がいるだけに、彼の居場所は保守政党以外には特にない境遇でした。

潘事務総長の辞任会見で言った言葉でも、このような状況が読まれるでしょう。
とにかく潘総長が辞退した現時点で、保守のリーダーになると乗り出す韓国の政治指導者はほとんどいないようです。どうせひとつの運命にならざるを得ない立場である黃教安(ファン・ギョアン)大統領権限代行くらいでしょう。

ここで、このような疑問が生じます。保守とは悪いものなのか? 保守は本当に崩して芽を取り除くべき旧態であるだけだろうか?

筆者の個人的な考えではそうではないと考えます。社会の安全のためにも、保守は本当に必要な価値体系でしょう。保守主義が胎動したきっかけも、過激で急進的だったフランス革命でした。

英国の政治哲学者エドマンド・バーク(Edmund Burke)は、フランス革命の余波が英国に及ばないことを願い、漸進的に社会を改善していこうという案を提示します。保守主義は、​​バークの思想に基づいていますね。

保守主義の父と呼ばれるバークは、米国の独立戦争に賛成した人です。一見すると、保守よりはもむしろ進歩の方にふさわしい人ですね。「善良な者の袖手傍観は悪が勝利するのに唯一の条件だ」という彼の言葉は、エリートたちの目を覚まさせるように説得します。

韓国の保守政治家たちも口では漸進的改革、健全な保守を主張するでしょう。しかし、市民に映っている自身の姿では個人的野望だけが見えるだけです。

黃教安大統領権限代行は法務部長官時代の2014年8月、「無理強いをする民願者たちに対しては、時間がかかっても決められた法に基づいて処理する」という断固とした立場を明らかにしました。法治主義を確立するという意志として読まれるでしょう。しかし、韓国の法治は持った者にとっては唯一寛大です。

韓国の保守集団が擁護しようとする価値体系のうちの1つが法治すれば、貧富から離れて、権力があろうとなかろうと同様に適用する必要すべきです。たとえ自身が家族や側近が法の網にかかっても、例外があってこそ保守主義者だと言うことができますからね。

韓国の保守主義者にはこのような姿がよく見えません。既得権を守ろうとする薄っぺらな機会主義者だけが見えるだけです。

再び最初の問いに戻ってきます。「保守とはなにか?」この問いに対して適切に答えるには、韓国で守らなければならない大切な価値に対するリストから作成するのが順序なのあるかもしれません。
  • O2CNI_Lim, Chul / 写真=イ・チュンウ記者
  • 入力 2017-02-05 08:58:00




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