トップ > コラム > オピニオン > [筆洞情談] ボラ・ハゼ・イイダコ

[筆洞情談] ボラ・ハゼ・イイダコ


  • [筆洞情談] ボラ・ハゼ・イイダコ
昔から伝わることわざは、核心を刺す表現も驚くべきだが特有の頓才が溢れる。生活の中の素材を活用しながら、膝を打たせる正確な比喩を含んでいる。

「ハゼが跳ねればイイダコも跳ねる」ということわざがある。ハゼは海水と淡水が合わさって塩分濃度が低くなった河口の汽水に主に集まって住んでいる。水が抜けた干潟で、バタバタと暴れるハゼを見ることができる。気が早く、同じ種族同士捕らえて食べたりもし、同じハゼの身で作った餌に引っかかる奴らのために、「オゴノリ自分の身を食うようだ」という言葉もある。

イイダコはイカ類の軟体動物で、小さいがタンパク質が多い選り抜きだ。そうであっても醜い姿のために「魚物廛の恥はイイダコがさせている(愚行は仲間まで恥をかかせる)」ということわざのように、待遇をまともに受けられない。つまらないくせに格に合わない行動で品位を落とせば、イイダコに比喩されたりもする。

漁船がいっぱいに捕ってきた魚を魚市場に注ぎ出せば、混ざっているハゼとイイダコは値を付ける価値もない微物扱いしかされない。他の魚を売って気前よく応対する時、一杯すくっておまけで上乗せする用途だ。ハゼが悔しい心に自身の存在を見せようと跳び上がると、これを見たイイダコがハゼのするマネを真似してしきりに跳ねるが、魚屋の目には情けない気がして、かえって踏みにじられてしまったという寓話がある。

「ボラが跳ねればハゼも跳ねる」という言葉もある。水面上層を遊泳するボラは、突然尾で水を叩きつけながら垂直に湧き上がる。ときに群れ集まり、水の上にぴょんぴょん跳ねる姿が見ものだ。

イイダコの前では肩をすくめていたハゼも、ボラの前では哀れな身の上に変わる。水の上に跳ね上がる力や技量で、ハゼがボラに引き分けられる相手になれないからだ。

強い奴が乗り出すから、力量もままならない奴が一緒に出ることをボラとハゼになぞって、祖先は皮肉った。イイダコとハゼは自身の立場や能力を考慮もせず、他人の行動の後を追って付いて横行する姿に対する冷やかしだ。

5月9日の大統領選挙を控え、出馬を宣言した者らが列をなす。自由韓国党だけで10人を含め、現在まで合わせると30人を超えたというから、町の班長選挙ぐらいに錯覚するようだ。誰も自らをイイダコやハゼと考えていないだろうが、国民にはほとんどが柄にもない見ざわりな振る舞いをすると映ることを、当事者は知っているだろうか。
  • 毎日経済 ユン・ギョンホ論説委員 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2017-03-19 07:23:16




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア