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コラム > オピニオン > [コラム] ファクト暴力に勝つ方法
警察が通行人をつかまえて身分証明書を要求します。懸賞受配犯と顔が似て見えたようです。道を急いでいた通行人は、気分が悪かったようです。警察にそれとなく文句をいいます。
「女性警官が決まって男性みたいに見えるね?」
「何ですって?」
「女性じゃないですか?」
「いや、この人狂ったのか? 僕がどこを見て女性みたいだというのですか」
「目も2つで、鼻は1つで、口も1つなのに、まさに女だね、女」
インターネットにファクト暴力(新造語事前参照)について興味深い記事が上がってきました。スニーカーを1足買ってほしいという息子の要求に対する母親の断固とした拒絶メッセージですね。
息子「人間的にアディダスもう1つ買ってよ」
息子「正直ファッションの完成は靴だ」
母親「いや」
母親「ファッションの完成は顔だ」
母親「すでに腐ってる」
息子は母親のファクト暴力に耐え難いでしょう。財布を母親が握っていますからね。お金を稼ぐ息子がしきりに靴を買い入れるなら事情は異なるでしょうか?
異なる可能性がありますよね。
「お前はどうしてしきりに靴を買うの?」
「ファッションの完成は靴なんだよ」
「お前の顔で?」
「かっこいい靴があれば、顔にも艶が出る」
このようにね。
いくらファクト(真実)を突きつけても言い張る人、ずうずうしい人には道理に適いません。絨毯爆撃にもびくともしない避難所で、自身に有利な根拠を繰り返すだけです。理屈を並べ、わめきちらせば、抜け目なく是非を説明しようとしていた人も疲れて、手を引かざるを得ないでしょう。
今、韓国の地でこのようなことが起こっています。朴槿恵(パク・クネ) - チェ・スンシル(崔順実)のスキャンダルが土壇場に至り、是非を区別する問題ではなく、自尊心の問題になってしまいました。ソウル三成洞の朴槿恵前大統領の自宅前で「弾劾無効」を叫ぶ人々にとっては、ファクトはただの他の意見であるだけなようです。
- O2CNI_Lim, Chul
- 入力 2017-03-19 09:01:00