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[コラム] 「普通の日」


韓国の街頭に救世軍社会鍋が設置された。

全財産5億8000万ウォンを社会鍋に入れた老夫婦、1億5000万ウォンの小切手を惜しみなく差し出した匿名の篤志家、社会鍋は毎年心温まるエピソードでこの世にまだ希望があることを教えてくれる。

政治家や議会進出を夢見る候補者も社会鍋に近寄ることがある。いくら入っているのか分からない金一封を入れて幸せそうに微笑む。どこかでカメラのシャッターを押し続けているだろう。

財閥や高級公務員など権力と富を持った人々は、本人が関心を示さなければ社会鍋と関わることはない。社会鍋は彼らの日常生活権に属していないからだ。

社会正義を夢見て、悔しい人の恨みを晴らし、飢えて寒さに震える人にくつろぎの場所と暖かい食べ物を与えるという志を持った判事、検事、弁護士、医師だけでなく記者までが、巨大権力の一部になるのも彼らの日常の中で目につかないからかもしれない。

運転手が運転する自家用車や公用車に乗っていく道や、取引先と会ってビジネスをするホテルで、山で掘ってきたナムルを売りにきたおばあさんのシワを見ることはない。

そうだ。わざわざ、時間を作らない限り権力と富を備えている人々は下層民、いや普通の人の人生に関わることはないだろう。しかし庶民と接したほんのわずかな時間だけで庶民の人生を理解することも難しい。

朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が庶民体験をすると言って、一ヶ月間屋根裏部屋に住んだ後、発表した「江北(カンブク)優先投資計画」は家の値段だけ急上昇させ、庶民の人生をより一層追い込んだ理由もそこにある。

遠い昔の話だがパク・ジニョンも歌の歌詞で物議を醸したことがあった。godが歌った歌の題名は『普通の日』問題になった歌詞は歌の冒頭に出てくる。

朝なら起きて窓を開け
さわやかな空気の中、出かける準備をして
片手に熱いコーヒーを一杯持ったまま
満員バスに私の体を乗せて

疲れきって開かないまぶたを無理に開けて、大きく揺れる* 満員バスに乗るのが日常である会社員はこの歌詞がどれほど作為的なのかすぐ分かる。

熱いコーヒーを手に持って満員バスに乗るなんて無理だ。パク・ジニョンの普通の日には浪漫があって、普通の人の普通の日は戦場なのだ。

年末の街頭に設置された社会鍋。政治家、財閥、芸能人、スポーツスターが時間を作って寄ってくれることを願う。ただし庶民体験をすると言ってカメラのシャッターを押すのではなく、自分の人生が庶民の犠牲を基に成就したことを自覚するきっかけになることを願うだけだ。
  • Lim, Chul
  • 入力 2018-12-09 05:55:00




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