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もっと! コリア (Motto! KOREA)
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  • Q.
    韓国の歌手グループRoo'Ra(ルーラ):デビューから1期・2期のメンバー、解散まで
  • A.
    • <イ・サンミン、キム・ジヒョン、チェ・リナが舞台に立った『開かれた音楽会』>

    2012年10月に江南(カンナム)のあるバーで酒を飲んでいた歌手チェ・リナと一行に暴漢がナイフを振り回した事件がありました。一行の中にいた俳優コン・ヒョンジンの妻の妹がナイフに刺されて死亡しました。現場にいたLGツインズ所属のプロ野球選手パク・ヨングンもナイフで刺されて重体になりました。パク・ヨングンはチェ・リナを守ろうとして怪我を負ったそうです。チェ・リナは被害者であるにもかかわらず、外に出て行くのが消極的になるほどの心の傷を負いました。

    噂話が好きな人たちがこれを「ルーラの呪い」だとか「チンピラと遊んだりするからだ」と話したからです。

    この事件が縁になってチェ・リナは6歳年下のパク・ヨングンと恋愛をして2016年11月に結婚することになります。Roo'Ra(ルーラ)のメンバーキム・ジヒョンも2歳年下の事業家と結婚、二組の夫婦が連れだって新婚旅行に行きました。

    2016年7月3日はグループRoo'Ra(ルーラ)にとって忘れられない日です。 2016年4月と6月にはイ・サンミンのKBSとMBCの出演停止が解けてKBSの『開かれた音楽会』で昔のヒット曲『翼を失った天使』を大衆の前で歌ったのです。

    オリジナルメンバーが一緒にステージに上がることはできませんでしたが、イ・サンミンとキム・ジヒョン、チェ・リナにとっては長い悪夢から覚める気持ちだったことでしょう。

    1994年にアルバム『Roots of Reggae』(タイトル曲『100日目の出会い』)でデビューしたRoo'Raは1990年代にCOOLと一緒に韓国を代表する混成グループでした。

    初期メンバーはイ・サンミン、シン・ジョンファン、キム・ジヒョン、コ・ヨンウクなど4人。シン・ジョンファンはイ・サンミンが、コ・ヨンウクはシン・ジョンファンが推薦してチームに合流しました。3人組にしようとしたのですが企画会社が計画を変えて演歌歌手としてデビュー準備中だったキム・ジヒョンをスカウトして男女混成4人組としてスタートしました。

    KBSとSBSの歌謡番組でトップになるほどの人気を集めましたが、デビューアルバムの活動が終わると同時にシン・ジョンファンが軍隊に行きます。空白を埋めるために女性メンバーのチェ・リナが迎え入れられました。

    男女2人ずつで構成された2期のRoo'Raも人気を得ました。セカンドアルバムのタイトル曲『翼を失った天使』は1995年のKBS『歌謡トップテン』でゴールデンカップを2回受け取りました。その年のゴールデンカップの複数受賞者はRoo'Raが唯一でした。ソウル歌謡大賞とSBS歌謡大典の大賞もRoo'Raのものでした。その時がRoo'Raの全盛期でした。

    しかし、栄光は長くは続きませんでした。Roo'Raの米国公演当時に現地の韓国人から渡された曲でサードアルバムを作ったのですが、タイトル曲『天上有愛』をはじめ、いくつかの曲が盗作疑惑に包まれました。さらに所属事務所側が作曲家の名前としてイ・サンミンを一緒に載せたせいでイ・サンミンのイメージがかなり失墜しました。

    盗作波紋によりしばらくアメリカに渡って休んでいたRoo'Raは1996年夏、イ・ヒョンドがプロデュースした4枚目のアルバム『All System Go!』(タイトル曲『3!4!』)でカムバックしました。しかし、翌年キム・ジヒョンが所属事務所を移してソロ歌手になったために客員メンバーの「マイキーロメオ」を迎え入れて5枚目のアルバム『The Final』を出しました。

    シン・ジョンファンが軍隊から除隊しましたが、Roo'Raにしばらくゲストとして参加しただけで、Roo'Raは解散手順を踏むことになります。

    ※ 解散後のRoo'RaメンバーやBIGBANGのG-DRAGONが所属していたチビッコルーラについては次回に続きます。(次の記事