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  • Q.
    ミン・ユラ選手&アレクサンダー・ガメリン選手:平昌五輪出場の韓国フィギュアスケート選手を紹介④
  • A.
    アイスダンスの分野で韓国は2002年のソルトレイクシティ大会以来16年間、オリンピックの舞台に立てずにいました。

    これまでの空白を埋める選手がついに現れました。

    ミン・ユラとアレクサンダー・ガメリンが主人公です。

    ミン・ユラとガメリン組は2017年9月にドイツで開かれたネーベルホルン杯で4位となり劇的に平昌五輪メンバーに合流しました。

    2人とも生れながらの韓国人ではありません。ミン・ユラには韓国人の血が流れていますが米国市民権者であり、アレクサンダー・ガメリンはアメリカ人でした。

    • 韓国のパスポートを受け取って明るい笑顔を見せるガメリンとミン・ユラ

    ミン・ユラは1995年に米国カリフォルニア州で生まれました。早くからフィギュアスケートを始めた彼女は2012年にシングルからアイスダンスへと種目を変えました。平昌に行きたいという念願が込められた種目変更でした。

    しかし、韓国では適当なパートナーを見つけることができませんでした。ウズベキスタンのイゴール・オガイ、アメリカのティモシー・コレトと呼吸を合わせてみましたが長続きしませんでした。

    ちょうど、アイス​​ダンス選手のアレクサンダー・ガメリンが新しいパートナーを探していました。ガメリンはスケートを始めてから15年間、双子のダニエルと呼吸を合わせてきましたがダニエルが引退を宣言してペアを失って一人になっていました。克服するのは難しい危機を迎えて引退を苦心していたガメリンにミン・ユラが手を差し伸べました。

    2人は以前からお互いによく知った仲でした。ロシアのイーゴリ・シュピリバンド コーチの指導を一緒に受けており、お互いの実力や好みも熟知していました。

    しかしガメリンにとって韓国代表選手になることは容易ではない選択でした。北韓(北朝鮮)の核の脅威により韓半島(朝鮮半島)が戦争の危機に包まれたという米国メディアの報道は帰化を躊躇させました。しかし平昌への夢はあまりにも大きかったのです。家族もその夢を応援してくれました。

    帰化を決心してからも過程は順調ではありませんでした。帰化するために韓国語と韓国の歴史を学び、新たなパートナーと呼吸を合わせながら韓国が特別に帰化を受け入れるだけの成績を出すことは決して簡単ではない課題でした。

    実際、2017年3月の世界選手権大会で20位に留まり、平昌行チケットを得ることができませんでしたが、続いて行われた1次選抜が終了するまで代表決定は不透明な状態でした。7月末になってようやくガメリンが韓国の国籍を取得し、9月のネーベルホルン杯での成績にり劇的に平昌行きの列車に乗りました。

    • 写真=韓国氷上連盟

    ミン・ユラとガメリン組はオリンピックの舞台で改良された韓服を着てアリランに合わせて演技を繰り広げる予定です。帰化した選手たちなので、アリランが与える感激がさらに大きくなることでしょう。

    しかしオリンピックの舞台が行われる江陵のアイスアリーナでアリランを聞くためにはまず1次関門を通過する必要があります。初日のショートダンスで24チームのうち20位になってこそ、次のフリーダンスに出ることができるからです。

    彼らが韓国民の恨(ハン)が込められたアリランに合わせて自分たちの人生を表現する舞台が繰り広げることができたらと本当に思います。