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[筆洞情談] 「韓・独」親善

    今では第2外国語の科目が多様になったが、1990年代以前だけでいっても男子校はドイツ語、女子高はフランス語一色だった。それゆえ40代以上の韓国男性のほとんどはドイツ語を読むことができる。そのときに暗記したドイツ語の定冠詞4格は、歳月が経っても忘れることはない。ドイツの人々は韓国人たちが何かの注文を唱えるかのように「デア(der)」「デス(des)」「デム(dem)」「デン(den)」を読むのを見て感動し、それを覚えていながらも簡単な会話の一言もできないのに対して再び驚くという笑い話を聞いた記憶もある。

    ドイツは世界大戦を2回起こした国だが、韓国とは衝突する機会があまり無かった。開花期の朝鮮が辛未洋擾(米国)、丙寅洋擾(フランス)、巨文島占領(英国)など帝国主義の列強と1回ずつ武力紛争を経るあいだ、ドイツ出身の商人オペラガルトが興宣大院君の父である南延君李球の墓を盗掘した事件があっただけだ。この事件が大院君の鎖国政策を触発した導火線になった。両国が最初に修交したのは1883年朝独修好通商條約を通してで、西ドイツが主権を完全に回復した1955年に再修交があった。

    ドイツは韓国に2度の決定的な助けを与えた。韓国1人当たりの国民所得が100ドルに満たなかった1960年代初め、ドイツは韓国人鉱夫5000人の派遣覚書を受けて商業借款1億5000万マルクを貸したのだ。血と汗と涙が染み込んだ祖国近代化のシードマネーだった。1964年12月に最初のヨーロッパ訪問に出た朴正煕大統領(当時)が、すすり泣く派独鉱夫たちの前で「子孫たちには貧困を譲らせないようにしよう」と終始本人も涙を拭う姿は、韓国の現代史で最も胸詰ったシーンの1つだ。韓国経済回生が、外資誘致の成功可否にかかかっていた1998年の通貨危機当時、ドイツのコメルツバンクは外国為替銀行に3500億ウォンを投資してくれたのだ。この投資は、韓国経済に対する外国人の懐疑的な視覚を変えるきっかけになった。

    主要20か国(G20)首脳会議に出席するためにドイツへ向かった文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、今日未明にアンゲラ・メルケル首相と就任後初の首脳会談を行った。先立って派独鉱夫・看護師などが含まれる同胞たちとの昼食懇談会も設けた。紅顔の派独鉱夫たちが白髪頭になる間、祖国は貧困だけは譲らないという53年前の冬の、あの涙ぐましい約束を守り抜いたのだ。その過程で手を握ってくれた国は、まさにドイツだった。
  • 毎日経済 ノ・ウォンミョン論説委員 | (C) mk.co.kr | 入力 2017-07-05 17:58:43