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[コラム] 韓国メディア、「ギレギ」の屈辱から脱却するには…

  • 世論が沸き立っているにも関わらず任命されたチョ・グク(曺國)法務部長官(法相)をめぐる論争は現在進行形だ。
    チョ・グク長官本人の犯法事実はないとしても、家族たちが関わっているなら悪口を言われて当然のことだ。それにもかかわらず、チョ・グク長官をめぐる論争は敵味方に分かれる様相を帯びたまま、終着駅がどこなのか、政権が破局を迎えるのか、困惑だらけだ。

    事態がここまで悪化したのにはメディアの役割も無視できない。
    メディアが国民の信頼を失ったため、チョ・グク長官はもちろん政界に対する記事を信じなければならないのか、無視しなければならないのか決められない立場になってしまったのだ。

    韓国メディア、記者があまりいないインターネットメディアではなく、地上波放送と主流メディアの記者がギレギ(記者+ゴミの合成語)と言われ始めてから、だいぶ時間もたっている。ついに政権与党のスポークスマンの口から、「こんなだから、ギレギと言われるのではないのか」という言葉まで出てしまった。

    よく分からないが記者たちは頭に来ただろう。
    記者を相手にすることが本業の報道官の口から「ギレギ」という言葉が出るなんて、あきれたことだ。

    しかし、記者たちは、イ・ジェジョン(李在汀)スポークスマンではなく、無言な大衆の視線を見つめなければならない。
    イギリスのオックスフォード大学付設のロイター・ジャーナリズム研究所の分析で韓国のメディアは、調査対象38か国のうち、最下位と集計された。4年連続不動の最下位の現実を直視すると、怒ってる場合ではないことを自覚するだろう。

    韓国メディアの信頼度は22%。新聞、雑誌、放送で流れたニュースを信頼する人がわずか22%というのが、韓国のメディアが直面した現実だ。78%が「事実」、「真実」として受け入れないため、1人で騒いで1人で書いているわけだ。

    厳しい軍部独裁時代にも言うべきことは言って、書くべきことは文章で綴っていたメディアが足かせがほとんどない自由な環境でなぜこんな状況になったのだろうか。

    インターネットとSNSが触発した速報競争のせいだろうか?
    言論の自由を享受しているうちに、熾烈さが足りなくなったのだろうか。

    筆者はインターネットに載ってる文章で答えを探してみる。「韓国のメディアが記事を書く方法」という文だ。
    -イ・スンシン(李舜臣):私の死を誰にも知らせるな。
    韓国記者:イ・スンシン、部下に嘘をつくように指示、道徳性論議の一波万波。
    -キム・グ(金九):私の願いは第一も第二も統一だ。
    韓国記者:キム・グ、統一に目がくらみ、国民の生活と経済を投げ捨てる。
    -ソクラテス:汝自身を知れ。
    韓国記者:ソクラテス、国民を馬鹿にしてため口で波紋を呼ぶ。
    -スピノザ:明日、地球が滅びても私は、今日一本のリンゴの木を植える。
    韓国記者:スピノザ、地球滅亡の悪談、全世界が驚愕の憤り!

    この文を載せた人の意図は正確には分からないが、ある程度は笑い話として書いたものだという気がする。

    度が過ぎてるようにも感じる。しかし、韓国メディアが胸に刻むべき重要なメッセージが入っている。
    事実と真実に対する差だ。
    韓国メディアは事実を伝えることに偏り、真実を暴くのに疎かだという批判を受け入れなければならない。

    事実を書くのがメディアの使命であり、本質ではないのか?
    いいえ。そんな主張は真実を追いかける事実である時だけ正当だ。

    けんかを止めようとしていた格闘技選手が巻き込まれて、誰かを重態に陥らせたが、「格闘技選手、スパーリングパートナーがいなくて人を殴ったのか?」というふうに記事を書くと困るということだ。 事実を追いかけるために、真実から遠ざかるなという意味だ。
  • Lim, Chul | 入力 2019-09-26 00:00:00