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大宇グループを創った「金宇中神話」終わる

    • 金宇中(キム・ウジョン)前大宇グループ会長(左から4人目)が1992年に北韓を訪問し、金日成主席(左から5人目)と記念撮影をしている。写真提供=大宇世界経営研究会



    ◆ 金宇中(1936~2019)◆

    大宇グループは韓国経済の圧縮成長期のど真ん中にあった「漢江の奇跡」を象徴する企業だ。 33平方メートル(約10坪)の事務所に職員が5人に過ぎない中小企業として出発したが、1970年代の輸出で飛躍的な成長を成し遂げた。以後は政府主導の重化学工業育成政策に積極的に呼応し、短期間に財界序列で2位にまで上がった。「世界は広く、やることは多い」という故金宇中(キム・ウジュン)前会長の哲学にもとづいて「世界経営」に乗り出して東欧と新興市場を積極的に開拓したが、1997年のIMF外換危機の衝撃を克服できずに没落した。

    大宇グループの始まりは、キム前会長が満30歳になった1967年に資本金500万ウォンを持って設立した大宇実業だ。大宇実業はシャツや下着類などを東南アジアに販売しつつ規模を大きくした。1969年に韓国企業としては初めて豪シドニーに海外支社を設立したことに続き、創立5年目の1972年には国内2位の輸出企業に成長した。

    • 金宇中前大宇グループ会長が1998年に米国を訪問し、ドナルド・トランプ米大統領(当時はトランプ株式会社会長)と握手している。 写真提供=大宇世界経営研究会



    キム前会長は1973年に大宇建設の前身である大宇開発を設立し、1974年には大宇電子を発足させた。1976年には韓国機械(大宇重工業)を、1978年にはセハン自動車(大宇自動車)と大韓造船公社(大宇造船海洋)などの不良企業を相次いで買収した後の短期間に経営正常化を成し遂げて、韓国の重化学産業化をリードしたという評価を受けた。

    大宇は1990年代に入って「世界経営」を旗印に掲げ、海外市場の攻略に集中した。1995年に世界屈指の自動車企業であるゼネラルモータースとポーランド国営自動車企業のFSOを買収したことは、大宇グループの世界経営を象徴する逸話としてあげられる。FSOの買収にはGMをはじめとし、ヨーロッパの我こそはという自動車企業がすべて襲いかかった。当時、大宇は「部門買収」と「構造調整」を買収の条件とした他の企業とは異なり、工場と従業員全体を買収すると乗り出して成功した。当時のFSOの経営陣は、「大宇だけがわれわれの要求を受け入れた」と明らかにしたこともある。

    ルーマニアとチェコに続いてFSOまで買収し、大宇は東ヨーロッパで最大58万台あまりの生産能力を持つことになったし、このような攻撃的な経営はヨーロッパの自動車業界で注目の的になった。現在もウズベギスタンなどの東欧圏の一部では、破産して20年が過ぎた「大宇」ブランドの影響がいまだに残っているほどだ。

    このような「世界経営」で徹底した現地化を追求することで、大宇グループは1998年に41の系列社と400あまりの海外法人を確保した。従業員の規模も国内10万人と海外25万人に達した。

    大宇グループの量的膨張は止まることを知らずに継続された。1997年末に起きた通貨危機にもかかわらず、売りに出てきた双竜自動車を買収した。小型車と大型車はもちろん、バスやトラックにスポーツ用多目的車(SUV)に至るまで、さまざまな車両を生産するフルラインナップを完成させ、海外現地工場の買収・拡張を止めなかった。その結果、大宇は1998年にサムスンを抜いて財界序列で2位にまで跳ね上がった。

    とは言え、これが最後の炎だった。止まることを知らずに身を大きくした大宇グループは、瞬く間に空しい結末を迎えた。外形の拡大に重きを置いたことで、ほかのグループに比べて構造調整に遅れたことが敗着だった。

    キム前会長は構造調整に否定的だった。救済金融の申請以後、流行のようになった大規模な構造調整と人的な構造調整に対し、「職員らが切られるのが怖くて一生懸命に働くようにするのは非人間的だ。経営者は雇用を減らすことなく危機を克服する方法を研究するべきだ」と強調したし、「人をクビにして利益を出すのは誰にでもできることだ」と一喝した。このような脈絡で「構造調整よりも輸出拡大で外換危機を克服する」と主張した。

    しかし大宇グループは国家信用格付けの墜落の影響で海外債権者らの返済圧力が強まり、海外の資産価値が墜落する流動性危機に陥った。1997年末に通貨危機が起き、金利が年30%のレベルに跳ね上がって、大宇グループの利子負担は雪だるまのように大きくなり始めた。外換危機とともに国内の大手企業の連鎖倒産が続き、金融機関が貸付金の回収を急ぐなかで大宇グループは経営難が急速に悪化した。

    けっきょく大宇の負債60兆ウォンは金融業界の不良として残り、金融業界の構造調整と協力会社の連鎖倒産を引き起こした。これを収拾するために公的資金30兆ウォンが投入された。キム前会長の辞任が1999年11月23日の理事会で正式に受理されて、「金宇中神話」は32年めで幕を下ろした。
  • 毎日経済_ノ・ヒョン記者/ウォン・ホソプ記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2019-12-10 21:55:14