A. | 先日終了したtvNのドラマ『ヴィンチェンツォ』でソン・ジュンギが熱演したヴィンチェンツォ・カサノ(Vincenzo Cassano)は、イタリアのマフィア、カサノファミリーのボスです。 ソウル生まれでイタリアで学業を終え弁護士の資格まで取得した人物です。 ファミリーのボスになる前は顧問弁護士をしていましたが、頭脳戦から肉弾戦まで最高だったのでボスの座を手に入れたものだったのでしょう。 ヴィンチェンツォが韓国に来た理由は、中国の組織暴力団のボス王会長が韓国に隠しておいた金塊を手に入れるためでした。金塊が隠されているのはクムガプラザの地下の密室です。住民を移住させた後、密かに宝物を探さなければなりませんが、このドラマのヴィラン組織であるバベルグループが建物を買ってしまいます。 話がどこへ流れるのか見当がつくでしょう。 ヴィンチェンツォ+クムガプラザ住民VSバーベルグループ。 簡単に言えば、「悪党対悪党」の対決です。 作品に登場する人物のうち、善良な人はヒロインのホン・チャヨンの父親、ホン・ユチャン弁護士ぐらいです。ホン・ユチャンはドラマの序盤で非業の死を遂げてしまいます。 このドラマで警察、検察、大韓民国国家情報院、軍隊などの公権力は、社会悪を退治して正義を具現するのに全く役に立ちません。隠された金を探そうとする意図だったのでしょうが、絶対悪を退治する任務はマフィアに任されたわけです。 マフィアなので悪党を処断するやり方も残忍極まりないです。 拉致、監禁、放火は基本です。 「ここがイタリアだったら、お前たちは今頃、誰も知らないうちにぶどう畑の肥やしになっていたはずだ。そして安物のワインになって、 どこかで1+1で販売されているんだろう」 ドラマの中でヴィンチェンツォが言った言葉ですが、なんだかすっきりしませんか? 主人公がマフィアのボスなので組織暴力団の美化物と解釈しても大きな間違いはないと思います。作家*も組織暴力団美化の議論を意識したせいか、自分を悪人と自覚するヴィンチェンツォの台詞を何ヶ所か並べておきました。 「俺は相変わらず悪党で正義なんかに関心もない。正義は虚弱で虚しい。これではどんな悪党にも勝てない」 組織暴力団美化の議論になることを承知の上で、マフィアのボスを主人公にした理由は何でしょうか?ドラマの企画意図を見れば大体見当がつきます。 「大韓民国の国民は安堵しながら言う。 韓国にはマフィア、ヤクザ、三合会、カルテルのような巨大犯罪組職がなくて幸いだと。 しかし、これは途方もない錯覚だ。貪欲が支配する世界には「ヴィラン総量の法則」が存在する。 韓国も例外ではなく、この「総量」は巧妙に隠されている。 過去の理念と亡霊に捕らわれて嫌悪と憎悪を煽る低劣な政治家、 正義を守るどころか人権を破壊し権力に目がくらんだ卑劣な公権力、 彼らに取り入って偽ニュースを量産する破廉恥なメディア、 これに喜んで「スポンサー」になってやる大企業。 彼らがまさに大韓民国のマフィアであり巨大カルテルだ」 似たような話がヴィンチェンツォの台詞にも出てきます。 「悪党の観点から言います。俺が最も恐れない相手は、言葉だけで正義を叫ぶ政治家と政府や官吏たちです」 韓国の既得権層に正義具現は期待できないというのがこのドラマの骨格です 誰にも任せられない正義具現、その役割がやむを得ず悪党に回ったわけです。 悪党によって処罰されるだけにとても残酷です。「不快感を感じました」とか「15歳の視聴可」作品にしては表現があまりにも露骨すぎるなどの意見もありましたが、多くの視聴者が痛快だったとの反応を示しています。 社会悪に対してあまりにも純真な対応、寛容では社会悪に勝つことができないため、果敢で厳格な報復を望む大衆の心理が投影されたためでしょう。 悪をもって悪を治めるヴィンチェンツォの行為は私的制裁に該当し、これは法治国家では厳然たるタブーとなった行為です。 ところで政治家と公権力、メディア、財閥と野合しない暴力集団が韓国に存在できるでしょうか? そのような組織暴力団がなければドラマの『ヴィンチェンツォ』が組織暴力団を美化したという議論さえ、ただ空念仏に終ってしまうでしょう。 |