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数字経済 > 企業 > LG具本茂会長就任20周年…「1等LGとして永続できるように」
「革新の象徴であり、真の1等LGとして永続できるように最善を尽くそう」。
これまで20年間、LGグループを率いてきた具本茂(ク・ボンム)会長は15日、「LGブランド出帆と会長就任20周年」を記念する晩餐会の席で語った言葉だ。50歳でLGグループを受け継いだク・ボンム会長は今年70歳になった。過ぎ去った20年を振り返ってみるほどのおおげさな話を期待したならば、ク会長をよく知らないわけだ。ク会長は虚礼虚式や格式を問わない。
この日、LGブランドとク・ボンム会長の20周年就任イベントの席も急に準備された。LGグループは毎年1月初めに、ク会長の主宰で1泊2日の「グローバルCEO戦略会議」を行う。毎年テーマを決めて外部講師の講演を聞き、最高経営責任者(CEO)が全社的に戦略を討議する場だ。今年も14日と15日の両日、京畿道利川のLG人和院(LG Academy)でCEOと事業本部長など40人余りが参加したなか、グローバルCEO戦略会議が開かれた。
ク会長の就任20周年記念日は2月だが、グループ内の主要人物がせっかく揃ったここからイベントを行おうというのがク会長の考えだった。ク会長とCEOは近くにあるLG昆池岩リゾートに席を移し、夕食の席は2時間ほど続いた。田舎の食卓に近い気さくな食事を好んで食べるク会長は、この日も簡単なビュッフェ式ディナーを聞いた。直接料理をとって食べる方法も気にしなかった。20周年を記念する一般的な土産や贈答品もなかった。
しかし、ク会長のこのような気さくな性格の裏には執拗なほどの忍耐がある。これまでの20年間、LGグループの売上げはGSやLSグループが分離されても30兆ウォンから150兆ウォンと5倍に成長し、海外法人も3倍以上に増えた。事業構造も電子・化学・通信の3つの主要事業がグローバル企業の面貌をそなえている。
ク会長はラッキー金星の時期に、「財閥企業は海外市場をめぐって国内の消費材産業のみ詮索している」という国民の指摘もすっきりととりあげた。2003年、参加政府の発足後、韓国の大企業の中で一番最初に循環出資の輪を絶って、持株会社体制に転換したのもLGだった。
もちろんLGグループの成長には暗い面もあった。1990年代のデジタル技術革新をリードしていたLGグループは、2000年代のスマートフォン事業で遅れ、市場を回復するまでに4年以上の実績不振を耐えなければならなかった。
しかし、それにもかかわらずク会長は、経営陣に世界最高になるという目標を立てた以上、途中であきらめたり短期の成果に汲々とせず目標を達成しなければならないと強調している。いわゆる「忍耐のリーダーシップ」だ。
ク会長の忍耐を示す代表的な事例は、LG化学の二次電池事業だ。最近、グローバルな二次電池市場を主導しているLG化学の二次電池事業は、20年以上前の1991年にさかのぼる。当時のグループの副会長だったク・ボンム会長は、グループの将来の新成長動力の発掘のためのイギリス出張で二次電池に初めて接した。充電すれば何度も繰り返し使用できる二次電池が将来の新たな成長事業になる可能性があることを見た。
ク会長は当時、ラッキー金属にすぐさま二次電池を研究するように言い渡し、1996年にはラッキー金属の電池研究組織をLG化学に移転して研究を続けさせた。しかし成果は簡単には出なかった。 10年あまりの投資にも目に見える成果が表示されなかったため、「事業を諦めなければならないのでは」という意見があちこちから出てきた。
しかし、ク会長はむしろ経営陣を奨励し、その結果、現在LG化学は中・大型のバッテリー分野で世界1位と評価されるなど、二次電池の市場をリードしている。
LGグループが過去20年間、電子・化学・通信サービスを中心に事業を再編したならば、今後はエネルギー・自動車部品などが主要な「食い扶持」になると見ている。
このことから、ク会長はこの日のグローバルCEO戦略会議でも、将来の自動車工学に関する講義を聞き、CEOにも「成果創出のためには必ず実行につながらなくてはならない」とし、「最高経営陣がまず変わっていき、直接とりまとめてほしい」と要請した。