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カルチャー > カルチャー > [絵の見方] 肖像画にこめた人間の内情…顔は心にそっくりだ
先人の肖像画を注意深く覗くことは様々な楽しみを抱かせる。「顔は心に似て、人の仕事は顔に刻まれる」は実存主義的な美学を新しく示してくれる美術評論家ソン・チョルジュの視線を追いかけてみると共感することだ。
隠すことのできない大院君の剣幕
肖像画を描くたびに彼はしげしげと服を着替えた。「旧韓末のファッショニスタ」と呼ばれてもそん色のない興宣大院君(フンソンテウォングン)李昰應(イ・ハウン、1820-1898)だ。大院君は絵を描いた内歴を右側に自ら書いた。「庚辰の年に生まれ、己巳年に肖像を描きこのときが50歳だ」。つりあがった目と厚めのまぶた、はりのある肌に生気がいっぱいだ。実は44歳のとき草本を描いておき、6年後にようやく完成した絵だ。大院君の50歳は「10年摂政」のはずみがついたときだ。この絵には満ち足りた自信感が表れている。ならば、よく目をぎょろぎょろさせた大院君の剣幕はどこに見い出せばよいのだろうか。机の上に立てて置いた刀だ。鞘から刀を抜いてある。
国を開いた太祖の気性
上に角がついた翼善冠(イクソングァン)に真っ青な袞龍袍(コンリョンポ)、そして正面を凝視しながら構えて座っている姿勢が革命の君主に足りる。左右対称に近い御真の目鼻立ちと周辺の装飾は、統合のイメージを表す。また袞龍袍の前と後ろ、肩に刻まれた金色の竜は爪が5本で至尊の権威を誇る。龍床(王座)にひとつひとつ刻んだ龍たちが羽ばたいている。色彩の敷物の連続柄も龍を単純化した図案で、念願の持続を意味する。この肖像はなによりも正面像なのでカリスマが直進するかのように、重さと威圧感を伝える。国の始まりを開いた太祖の意志が現れた御真影だ。
断固とした「御史」の品格
暗行御史パク・ムンスの肖像の中でこの姿は晩年の顔だ。額のシワが噴水のように割れて、眉の端は遠い山のように退いている。目頭は鳥のくちばしに似て鋭く、唇は堅いナツメ色に染まっている。堅い表情で、まるで他人がする無礼な振る舞いをにらみつけるような目つきは断固さがあふれている。画家の腕前が繊細だ。骨相はじっくり線描であらわれ、顔色は跡がのこらないよう筆を動かして完成させている。朴文秀の監察は公私と是非をよく見分け、なにより国民の利益を優先した。
しきりににこやかに笑う
白粉の香りが絵から外に広がるようなつやのある女人の肖像だ。身分は「妓生」と推測される。カラーのマッチをよく見ると彼女の装いがありふれていない事がわかる。カチェ(加髢)に飾ったテンギ、チョゴリの襟と結び紐、床に置かれた鏡は朱色だ。まるで画報の写真を演出したかのように注意深く配置したものだ。彼女の表情は色っぽく振る舞いはにぎやかだ。なにかいいことがおこるのか、彼女の口元がしきりににこやかに笑う。瞳はランランとしていて、ユスラウメのような唇が男たちをあせらせる。今晩、彼女が使う言動がおのずから描かれないのか。
凡ならざる気勢
朝鮮時代の女人の肖像に出会うのは珍しく貴重なことだ。この作品のように肖像画の条件を兼ね備えた女人像に合うこともやはり難しいことだ。着飾った衣装が、士大夫(サデブ)肖像の格式がうらやましくない。チョクジンモリ(朝鮮時代、結婚した女性の髪形)を貫くかんざしは龍の頭にかたどっており、龍の柄を刻んだかんざしは当初王族の衣装道具だった。花紋席(ファムンソク)の上に位置する椅子は19世紀に中国から輸入されたものだ。女人の身像を高宗(コジョン)の後ろで垂簾聴政(摂政)だった神貞王后(シンジョンワンフ)趙大妃と見る人もいる。しわがあるが、顔の線は丸くて平べったくて、低身長であるうえにおとなしい体つきが漂う勢いが尋常ではない。しっかりとおちょぼ口は、仕える人々を威圧したような姿をしている。
欲心のない知識人
崔致遠(チェ・チウォン、857年~?)は生まれつきの文章家であり統一新羅では珍しい国際通だった。衣と冠は唐の国の服飾だが、座り方がユニークで目がいく。崔致遠は靴を脱いだまま椅子の上で跏趺坐をくんでいる。なぜかすこし軽率に見える。顔はにっこり笑いもしている。文臣の肖像ではなかなか見られない格好だが、まさに僧侶を模す姿勢だ。儒佛仙にあまねく明るい学者の面貌が、人並みはずれたポーズに生かされている。晩年の崔致遠は乱世がもつれるのを見たくなかった。流れる言い争いに耳を塞ぎ行方をくらました。言い争いが沸き立つ最近も同じだ。口は軽く舌は肥えた世の中だ。崔致遠が生きていたならまた去るだろう。