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映画「東柱」公開から徐廷柱の自叙伝まで…近代韓国詩ブーム

東柱・白石…書店界、近代詩にふける 

  • 映画「東柱」公開から徐廷柱の自叙伝まで…近代韓国詩ブーム
  • < 左から尹東柱、白石、徐廷柱 >

韓国詩の読者の視線が近代に広がっている。 20世紀初頭に出版された詩集の復刻本が人気を集めはじめて、映画『東柱』の公開に支えられて、尹東柱(ユン・ドンヂュ、1917~1945)をめぐる熱気につながり、ちょうど1930年代に活動した徐廷柱(ソ・ヂョンヂュ、1915~2000)の自叙伝まで売り場に登場して、近代詩への照明は一つのトレンドとして固まった。これに金素月(キム・ソウォル、1902~1934)と白石(ペク・ソク、1912~1996)の詩集の復刻本も加わって、「近代韓国詩ブーム」を牽引している。

尹東柱が1941年に書いた5連14行の詩「十字架」で、淑明女子大のキム・ウンギョ教授は10番目の行に注目した。たったハングル2文字だけのその行は、キム教授の新しい評論集のタイトル『のように』(ムナクトンネ編発行)であり、韓国人が最もあがめ慕う詩人・尹東柱の生涯を5つの時期に分けて、詩を談笑するように読みやすく解いた。

「つらかった男/幸せなイエス・キリストに/のように/十字架が許されれば」(「十字架」の部分)。尹東柱はイエスの行跡を追う犠牲者の生活を崇高なまでに指向する。キム教授は「尹東柱の詩にあらわれる『ように』や『のような』という直喩法は他者との違いを認識しながら、同時に同一化しようとする意志」だとした。

尹東柱が生まれた満州・明東の村を経て、崇実・光明学園時代を経て延禧専門学校在学中の、詩人の2つの時期、そして日本の立教大学・同志社大への留学などを追跡してみると、27歳で夭折するまでに尹東柱が残した「自画像」「序詩」「星を数える夜」「懺悔録」などの分析枠組みに接することができる。

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  • < 尹東柱「序詩」肉筆原稿。 >

特に尹東柱の「星を数える夜」にキム教授は相当部分を割愛する。 「オモニ(お母さん)」への手紙の形式で書かれた詩の5連がなぜ散文形式であるのかをめぐって、著者は「京城に来てむしろ故郷の満州をなつかしがる、ディアスポラの子供の頃を盛り込んだ詩」だとし、「その頃を懐かしむ心を、とても短い行間や暗示的技法で盛り込むことができず、話として解いたものとみられる」と説明した。

「未堂(ミダン)徐廷柱」の自伝もうれしいのは同じだ。 「幼年期の自伝」と「文学的自叙伝」(ウネンナム社発行)は、未堂生前の1968~1974年ごろに書かれたが、40年が過ぎて本として編まれた。未堂の記憶は1930年代にさかのぼり、自伝のあちこちにユーモアと反省の文章が切々と溶けこんで、散文であるにもかかわらず詩を読む気分だ。

1933年の秋、19歳の未堂がゴミ箱の横で、重いゴミ拾い用のカゴを置いてタバコを吸う場面から未堂の記憶は出発する。未堂は自分自身を「落ち着かない文学青年」だとか「袋小路に入った韓国人の象徴」「亡国の文学青年」と表現する。 1941年、未堂の最初の本である『花蛇集』の表題作である「花蛇(ファサ)」の後日談も詩人は自叙伝で解きほぐす。 「菽麥(シュクバク/おろかなことのたとえ)」だった未堂は、「西欧貴婦人風の贅沢な装いとその絹の服のように贅沢な肌合い」のある女流画家を見て詩を残したことを告白する。「麝香薄荷の裏道だ」で始まる、未堂詩のピーク「花蛇」はこのようにして誕生した。

「親日(チニル)」論難を未堂はことさらに隠さなかった。 「私はここにいままさに自分の生涯で最も恥ずかしい話をひとしきり語る準備はできた」で始まる彼の文章は、1944年9月から翌年の春までの「親日的な業績または戦犯かどうか」を告白する。徐廷柱は「航空日に」というタイトルの親日詩を書いた記憶を皮切りに、日本語雑誌『國民文學』と『國民詩歌』に参与していた行跡をうちあける。未堂は「政治世界に対する不足した知識が、私の誤った認識を作った」と告白する。

近代詩人に対する関心は、じつは昨日今日のことではない。金素月の『つつじの花』は、1925年の初版本が90年ぶりの昨年に復刊され、書店に登場するやいなや4万部以上を売って人気の主役になった。白石の詩集『シカ』は29日に出版する予定であるにもかかわらず、予約販売部数が初日で2500部を突破し、現在は1万部を超えたと推定される。

韓国文学が危機であるにもかかわらず、韓国詩に対する喉の渇きは相変わらずだ。近代詩に向けた関心は、文学を一つの歴史的伝統や遺産として理解し始めたという評価が出ている。文学評論家のチョン・グァリ氏は、「作品を消費することで終わっていた文学の読者は、いまや韓国文学を歴史的な文脈と関係網の中に置いて理解し始めた」と語る。ただし、詩集の復刻本人気に対してチョン評論家は、「他者を介して自分自身を発見して新たに目覚める作業が共感であり、文学は共感の方法で読まれたが、いまや共感は減って文学を所有する自己満足の形式に変わった結果」だとも付け加えた。
  • 毎日経済_キム・ユテ記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2016-02-23 16:47:41




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