トップ > カルチャー > カルチャー > ワールドカップ応援団「赤い悪魔」の母胎はPC通信ハイテルのサッカー同好会

ワールドカップ応援団「赤い悪魔」の母胎はPC通信ハイテルのサッカー同好会

韓国のワールドカップ、ストリート応援は1996年から始まった 

  • ワールドカップ応援団「赤い悪魔」の母胎はPC通信ハイテルのサッカー同好会
2014ブラジルワールドカップの韓国初競技であるロシア戦の余韻がまだ濃く残っている。昨日、全国27か所で10万人余りがともに集まり、「テーハンミング」を叫んだ。赤い悪魔が主催した光化門広場とワールドシンガーの「PSY(サイ)」が率いた永東大路の熱気はすさまじかった。

ワールドカップのストリート応援は、1998年のフランスワールドカップアジア地域予選をおこなった1997年に始まった。その年10月11日午後、地域Bグループ6ラウンドのカザフスタン戦の遠征試合だった。ソウル光化門の東和免税店前の広場に集まった人たちは、向かい側の東亜日報の屋上に設置された電光板画面を見ながら「勝て」を叫んだ。一部赤い悪魔の会員以外に、家に帰る途中の高校生や思わず出てきた近所の会社員が多かった。この日のストリート応援は半月前の9月28日に東京で開かれた日韓戦勝利の後光効果だった。先制ゴールを渡してもソ・ジョンウォンのヘッドシュートとイ・ミンソンの長距離シュートで感激的な2対1での勝利を掴んだ「東京大勝」のすがすがしさを、赤い悪魔はストリート応援に繋げたということだ。太極旗をマントのように体に巻きつけた姿もこの時初めて登場した。

ストリート応援の真髄は2002年の日韓ワールドカップの時に見せた。ソウル市庁前には40万人余りが一度に集まり、7回の競技に延べ人数2400万人が全国のストリートに溢れ出た。翌週にアルジェリア・ベルギーとそれぞれ予選戦をさらにおこなわなければならないので、もう2回あるストリート応援で再び「ひとつになる」ことを楽しめる。

サッカー国家代表チーム応援団の赤い悪魔の母胎は、PC通信ハイテルのサッカー同好会だ。彼らは1995年12月にサッカー応援文化改善のための会議でつくった「カンタナ宣言」まで採択し、体系化のための土台を築いた。続いて1996年の夏、韓中国家戦に会員300人余りが赤い悪魔代表チームのユニフォームを着て、蚕室運動場で団体応援を披露した。赤い悪魔という名前は1997年8月に採択された。日本国家代表サポーターズである「ウルトラニッポン」は1992年につくられたので、韓国がひとしきり遅かった。中国にも「ボールに狂った人たち」という意味の球迷というサポーターズがいる。国家代表チームサッカーはこれ以上11人だけが走る競技ではない。グラウンドの外に選手が1名さらにいる。ひとつになった応援団だ。12番目の選手は赤い悪魔だけでなく国民すべてだ。
  • 毎日経済_ユン・ギョンホ論説委員 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-06-18 17:18:10




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア