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南漢山城もユネスコ世界遺産に

昌徳宮・朝鮮王陵などに続き11番目...「非常時王宮」高く評価 

  • 南漢山城もユネスコ世界遺産に
  • 南漢山城の南門・至和門(チファムン)。南漢山城の四大門の中で最も大きく、壮大だ。[写真提供=南漢山城文化観光事業団]

「三田渡(サムヂョンド)の屈辱」という痛恨の歴史を持つ「南漢山城(ナマンサンソン)」がユネスコの世界遺産になった。

ユネスコは22日(現地時間)、カタールの首都ドーハで開かれた第38次ユネスコ世界遺産委員会で、わが国の政府が申請した南漢山城の登録を最終確定した。

先立って去る4月29日、ユネスコ世界遺産委員会の諮問機構である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が南漢山城を実際に調査して、「登録勧告」判定を下している。今回の南韓山城の登録決定で、韓国は「海印寺蔵経板殿」「石窟庵」「仏国寺」「昌徳宮」「朝鮮王陵」など、合わせて11件の世界遺産を保有することになった。

南漢山城は、東アジアで都市計画と築城術が相互に交流した証拠として、軍事遺産でありながら地形を利用した築城術と防御戦術の時代別な層位が結集した、超大型の「包谷式山城(渓谷を包み築城された山城)」という点などが、世界遺産としての価値を認められたと文化財庁は説明した。効果的な法的保護体系と保存政策で、保存状態が良好だということも高い評価を得た。

南漢山城は城壁を中心とした山城と、王の臨時王宮である「行宮(ヘングン)」区域に分けられる。実際に、南韓山城は「丙子胡乱」のあいだ仁祖が漢陽都城を捨てて避難し、長期籠城した王宮だ。政府は差別化のために「非常時の王宮(emergency palace)」に集中して特徴づけた。山城ではあるが厳然とした王宮であり、さらにこのような宮殿が丙子胡乱という非常時局で運営された事実を打ち出した。

三田渡で仁祖が清の皇帝に屈辱的な降伏を行って、南漢山城での王宮時代は終わったが、まさにこの点が世界遺産としての価値を評価されるところに決定的な役割を果たしたと文化財庁は強調した。

「守禦將臺」と「崇烈殿」、「淸凉堂」「顯節祠」「枕戈亭」「演武館」「望月寺址」「開元寺址」「池水堂」「長慶寺」などの記念物が布陣していることも有利だった。昨年1月の登録申請書の提出に先立ち、京畿道は食堂街と宿泊施設を整備し、行宮も復元した。

南漢山城は1963年1月1日、史跡第57号に指定された。新羅の文武王13年(673)に漢山州に晝長城(チュヂャンソン)を置いたという記録があるが、これが今の南韓山城と思われる。仁祖2年(1624)、後金の脅威が高まり「李适の乱」を経て今の姿を整えた。
  • 毎日経済_ペ・ハンチョル記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-06-22 17:21:37




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