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象嵌青磁に埋もれていた高麗螺鈿漆器 脚光を浴びる

五色玲瓏な光の芸術品...千年の歳月にも変わりなく 

  • 象嵌青磁に埋もれていた高麗螺鈿漆器 脚光を浴びる
  • 「高麗螺鈿技術の総合編」と呼ばれている日本・当麻寺所蔵「螺鈿連珠函」。

去る15日、国立中央博物館は日本で購入した高麗螺鈿経函(経を納める箱)一点を公開した。高麗時代の螺鈿経函は韓国には一点もないし、全世界をひっくるめても8点だけ残っている超特急名品であることからメディアの関心を集めた。高麗の芸術といえば青磁をまず思い浮かべるが、天然素材のアワビ貝や巻き貝、漆で装飾する螺鈿漆器もまたそれに劣らぬ最上の傑作として脚光を浴びた。高麗象嵌青磁に比べ、高麗螺鈿漆器は伝わっている遺物の数があまりにも少なく、その真価を現わせなかっただけだ。東洋3国はすべて漆器を製作したが、五色玲瓏な光を発散する高麗のものを断然最高とした。中国は厚い漆に彫刻して模様を表現しており、日本は漆の上に顔料などで直接絵を描いたのに対し、韓国では螺鈿で模様を表現する技法が発達した。高麗文化のルネサンス期である12~13世紀、その製作技法は絶頂を迎える。

高麗朝廷がこの時期に「中国王室に螺鈿漆器を贈った」という記録が「東国文献備考」にあり、宋の使臣徐兢は「高麗図経」で「高麗螺鈿漆器は技術が緻密で、貴重品であり、非常に洗練された螺鈿柄の鞍もある」と絶賛を惜しまなかった。学界では、当時の青磁よりも螺鈿漆器がはるかに発達しており、螺鈿漆器の製作技法が青磁の象嵌(金銀入糸)技術の開発にヒントを提供したと見ている。

螺鈿漆器の専門家である帝塚山学園大学の河田貞教授は、「較べようのない精妙さを誇った螺鈿漆器は、高麗の最盛期にふさわしい洗練された美術工芸品」とし、「神秘的な光彩を放つ貝の細片一つ一つから、高麗時代の螺鈿職人らの精進の姿と情熱が映るようだ」と評価する。


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  • 高麗の匠たちは、仏教で煩悩を退ける象徴として使用されている「払子」にも螺鈿の技術を使用した。国立中央博物館所蔵。

高麗螺鈿は螺鈿の大きさがゴマ粒のように小さい。螺鈿の厚さが0.3ミリもなく、葉・星・勾玉模様・花びら・珠柄など、さまざまな文様も1~3ミリの大きさで、まるで紙を扱うように自由自在に切って貼り付けた。最近公開された経函に使用された貝片は、その数がなんと2万5000片にのぼる。イ・ヨンヒ中央博物館学芸研究官は、「螺鈿の細片が目に見えないほどなので、錐でチクチクと突きながら形を作ったのだろう」と説明する。このように模様を切り出す「割貝法」は高麗職人が独創的に開発した技術だ。高麗螺鈿は菊や牡丹のような小さな花柄を、規則的かつ連続的に配置して装飾性を最大化する。

螺鈿漆器の制作で最初の工程は、加工された木の板の上に麻布・絹などの生地を貼り付けることだ。強度を高めるための作業だ。繊維の粗い表面を滑らかにする目的で、土粉・木粉・澱粉などの詰め物を糊と混ぜて塗る。高麗螺鈿はめずらしく骨粉(牛骨の粉)を使った。そして、切り出した螺鈿の細片をはりつけて、他の部分は骨粉で再び覆って厚さを均一にする。最後に黒色の生漆を反復して塗り、螺鈿の部分の漆をみがき落とせば漆器が完成する。骨粉は塗装の強度を高めるだけでなく、漆を翡色に見せる効果がある。茎や模様の境界に金と似た色を出す真鍮を使ったことも、高麗螺鈿だけの特色だ。真鍮は銅と亜鉛を9対1の割合で混ぜて作るが、亜鉛は融点が低く、製造工程が非常に難しい。

現在、全世界に残っている高麗螺鈿は、部分品を含めて総20点あまりに過ぎない。最も高いレベルの工芸技術を誇る遺物には、日本の当麻寺が所蔵している「高麗螺鈿玳瑁菊唐草文念珠盒」が挙げられる。「光の芸術作品」という感嘆の声を出させるこの函は大きさが一尺に過ぎないが、高麗螺鈿漆器に適用される様々な技術の総合編と呼ばれるほど様々な手法が活用された。真珠光沢の螺鈿と深紅色とオレンジ色に塗られた鼈甲、一本または二本が撚られた銀線、黄銅線で編まれたさまざまな繊細な模様でいっぱいに満たされており、きらびやかな美しさを演出している。

高麗螺鈿経函は数日前に公開された中央博物館経函を含め、これまでに合計9点が発見された。東京国立博物館に2点と京都の北村美術館、名古屋の徳川美術館、イギリスの大英博物館、米国のボストン美術館、オランダのアムステルダム美術館、日本国内の個人所蔵の各1点などだ。東京国立博物館と北村美術館の経函3点は、日本の重要文化財に指定されている。これらの経函は高麗末・朝鮮初の贈り物などとして、日本に伝わったと言われている。鎌倉・室町時代の藩主たちが主に所蔵して、家宝として伝えられて大切に保存された。


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  • 日本から帰還して最近公開された螺鈿経函(左)。絵画美が一品の「蒲柳水禽文螺鈿描金香箱」の木の絵。中央博物館所蔵(右)。

螺鈿技術は箱や函にのみ使用されものではない。払子は禅宗の僧侶が心の塵や煩悩を払い退けるという意味で手にする象徴だ。高麗人たちはこの払子にも螺鈿をほどこした。「螺鈿玳瑁漆菊唐草文払子」は現在、国立中央博物館も持っており、茎の部分の金属線と一部の螺鈿が脱落しているが、保存状態は比較的良好だ。払子は1980年代に、中央博物館側が個人所蔵家の他の遺物を鑑定する条件で寄贈されたと伝えられている。高麗末に作られたものと推測される「螺鈿漆菊唐草円形函(東京国立博物館所蔵)は、菊が単弁ではなく三重のかさね模様で、茎は金属線の代わりに螺鈿を用いて、過渡期的な特徴をよく反映している。この他にも12世紀の玳瑁漆菊唐草文函が日本(個人蔵)と中央博物館に1点ずつある。

高麗螺鈿は当時でも最高品として認められ、墓に多く副葬された。香を入れておいた蒲柳水禽文螺鈿描金香箱(蒲・柳・水・鳥模様の螺鈿・金装飾香箱)がまさに墓から収拾された。この香箱は規則的な模様の螺鈿遺物とは異なり、山水画を見るように絵画的な形態を帯びている。金粉を膠などに混ぜて着色する描金手法は、高麗で初めて開発された。香箱は1910年に李王家美術館(徳寿宮美術館の前身)が青木という日本人から買ったもので、高麗古墳出土品とのみその出所が知られている。購入当時から木がすべて腐り、漆の部分がわずかに残っている状態だったが、悪いことに、韓国戦争中に700個あまりの破片に大破した。現在は壊れたまま中央博物館に保管されている。幸いなことに、1929年に朝鮮総督府が編纂した「朝鮮古跡図譜」に全体写真が残っており、原型を推測できる。

同様に、中央博物館にある松葉型箱4個セットのうちの1つ、油壷の破片も出土品だ。出土品は毀損が深刻で、形が正常なものはすべて借り物の品だ。借り物は大部分日本に渡った品だ。高麗の螺鈿漆器が世界的な名声を持つことになったのは、国家が経営する製作所があり、材料の供給と専門技術者の管理が円滑だったからだと専門家は分析する。

世界に際立った高麗工芸品は、時代が変わってその寿命を尽くした。中央博物館のミン・ビョンチャン研究企画部長は、「朝鮮時代に入って儒教の影響で奢侈を排斥する風土が拡散し、職人が冷遇されるようになって、残念ながら燦爛だった螺鈿技術は急速に衰退し、日本や東南アジアの国よりもはるかに取り残されることになる」とした。

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  • 華やかな文様の高麗後期「螺鈿円形箱」。東京国立博物館所蔵。

  • 毎日経済_ペ・ハンチョル記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-07-18 15:48:22




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