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「梅泉」黄玹の『絶命詩』…西大門刑務所歴史館特別展示


  • 「梅泉」黄玹の『絶命詩』…西大門刑務所歴史館特別展示
  • 朝鮮後期の学者「梅泉」黄玹が1910年、日本に国権を奪われた後に残した辞世『絶命詩』  写真提供=文化財庁



かつて国のために成したわずかな功もなく
忠ではなくただ仁をなすにとどまり
わずかに尹?を追うところにすぎず
当時の陣東を従えず恥ずかしいかぎりだ

朝鮮後期の学者であり憂国の志士「梅泉(メチョン)」黄玹(ファン・ヒョン、1883~1910)は、1910年に日本に国権を奪われた「国恥」を痛憤し辞世(「絶命詩」)4編を残して服毒殉国した。独立運動家であり僧侶の「萬海(マンヘ)」韓龍雲(ハン・ヨンウン、1879~1944)は黄玹の殉国に感動し、1914年に追悼時『梅泉先生』を直筆で書いて遺族に伝えた。今の大韓民国はこの二人の憂国志士のように、国のために命を捧げた人々の血の涙で守られてきた国だ。

  • 「梅泉」黄玹の『絶命詩』…西大門刑務所歴史館特別展示
  • 1919年「3・1運動」のときに太極旗を印刷した木版(下) 写真=文化財庁


1919年「3・1運動」を起こした多くの独立運動家たちは、西大門刑務所で露と消えた。同年、上海に大韓民国臨時政府を建てた「白凡(ペクポン)」金九(キム・グ、1876~1949)をはじめとする愛国者らは、いばらの道の中で亡命政府を導いた。文化財庁は西大門刑務所歴史館の第10・12獄舎で、彼らの精神を称える展示を用意した。 3・1運動と大韓民国臨時政府樹立100周年を記念した特別展「文化財にこめられた100年前のその日」で、19日から4月21日まで開かれる。韓日併合から大韓民国臨時政府の換国までの緊迫した当時の状況を見て、文化財にこめられた先烈たちの足跡を再照明する展示だ。西大門刑務所は「万歳運動」を主導した柳寛順烈士(ユ・グァンスン、1902~1920)などの、独立運動家たちが拷問されて死んでいったところだ。冷たく暗い地下の拷問室では、蝋人形になった独立運動家たちの姿とすさまじいうなり声が聞こえる。

今回の展示導入部には黄玹の辞世のほか、彼の子孫が100年以上も所蔵していた直筆遺墨(遺墨)『四海兄弟』、新聞資料を集めた『手澤存焉』などが初めて公開された。『四海兄弟』は韓龍雲の喪時『梅泉先生』が収録されている。『手澤存焉』は黄?の著書『梅泉野録』の中の安重根義士(アン・ヂュングン、1879~1910)関連の執筆の基礎となる資料だ。朝鮮統監府の初代統監である伊藤博文を射殺した安義士の公判記録と、ハルビン義挙の前に残した詩が含まれている。『梅泉野録』は黄玹が1864年から1910年までの47年間の歴史を編年体で記述した秘史で、第6巻に「安重根の伊藤博文射殺」と「死刑」などが記録されている。

展示1部「3・1運動、独立の花を咲かせる」では登録文化財第730号「日帝の主要監視対象人物カード」などを公開する。安昌浩(アン・チャンホ。1878~1938)、尹奉吉(ユン・ボンギル、1908~1932)、柳寛順、金マリア(1892~1944)など、日本に抵抗した独立運動家4857人を特定できるカードが紹介される。展示2部「大韓民国臨時政府、民族の希望となる」では登録文化財に予告された李奉昌義士(イ・ボンチャン、1900~1932)の宣誓文などを展示する。展示3部「解放、還國」は金九が書いた筆文字の『遺墨愼其獨(登録文化財第442-2号)』を見ることができる。 1949年6月26日の逝去当時、机の上に置かれていた巻物の一つで端に血痕が残っている。
  • 毎日経済_チョン・ヂヒョン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2019-02-18 17:00:43




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