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「15年間、行き場のない青少年の面倒をみた美容室の院長」あるガールズグループメンバー母の感動物語


  • 「15年間、行き場のない青少年の面倒をみた美容室の院長」あるガールズグループメンバー母の感動物語
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慶尚北道亀尾(クミ)市で小さな美容室を運営し、行き場のない青少年に約15年間ご飯を用意し、憩いの場を提供した人物がいる。グループAOAチャンミの母親であるイム・チョンスク院長だ。チャンミは「母親がロールモデル」とし、名前の姓ををキムから母親の「イム」に変えたと明らかにした。

15日に放送されたtvN『You Quiz on the Block』では「まっすぐ生きる」特集でイム・チョンスク院長と娘のチャンミが出演し話を交わした。

この日イム・チョンスク院長は美容室で子供たちのご飯を用意するようになったきっかけを尋ねられると「ご飯とおかずは作っておいてラーメンは食べたければ作って食べさせた。ご飯の時刻に来た子供に待てとは言えない。食べなければ一緒に食べようと言った」として「来る子供たちの大部分が両親の仲が良くなく不和になったり、殴られたりして行くところがないから訪ねてくるようだった。しばらく寝かせてくれと事情を話してきた。そこで始めることにした」と話した。

イム院長は時には子供たちの事で直接学校に行ったりもしたとし「中学校進学をあきらめた子がいて制服を直接買って着せて送ったり、事故を起こして学校から連絡が来れば行って収拾できればと思った」と話した。容易なことではないという言葉に「他に誰がするのか。目の前に見えるからしなければならない。良いことは私が行かなくても他の人がするだろう」と説明した。

家出した子供たちを直接世話しながら、短くて数日、長くて2年近く一緒に暮らしたりもしたとも話した。

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イム・チョンスク院長は「家出すれば子供たちはお金がない。ご飯を食べさせてくれて温かければ心理的に暖かいから悪いことをしない。子供たちを励ますと、両親の連絡先を教えてくれる。いったん子供を預かっているから心配するな、励まして家に送るとメールを送信した。そして子供を説得してみれば、子供はまた家に帰る」と話した。

それと共に「ご飯を炊く時、40人前まで作った。お客さんが入ってきてお店に子供が多いので、再び出て行く場合も多かった。私が母子家庭なので米やラーメンの支援も受けていた。私が稼いだお金も使ったが、それでも足りなければ電気線を挟む副業もした。そうすればおかずも買えて子供たちにチキンでも注文してあげられるから」と話した。

26歳の時から始めて約15年間青少年を見守ってきたイム・チョンスク院長は「子供たちに本当に感謝している。私の誕生日になるとケーキを買ってくる子もいるし、先生の日にはカーネーションを買ってくる子もいる」と話した。

チャンミは時には他の友達を気遣う母親に寂しさを覚えたりもしたとし「母親が他の姉や兄たちをケアするので、私の友人たちは母親が私の母親だとは知らなかった。美容室の院長だと思っていた。それが寂しかった。母親をお母さんと呼べない気持ちだった」と告白した。

イム・チョンスク院長は子供たちの世話をした理由について「子供たちを見ていると私の幼い頃を思い出す。私の家庭も余裕がなかったし、父親が暴君なのでたくさん殴られ、引越しも頻繁にし友達も作れなかった。駅やバスターミナルを転々としながら待合室にぼんやり座っていると、通り過ぎる人がとても幸せそうに見えた。その当時、誰かが私について来ないかと言えば、本当について行ってしまったと思う」と過去を回想した。

続いて「うちの母は仕事という仕事はすべてやった。父親がお金を稼がないから畑仕事もして派出婦の仕事もした。母親がどうしても駄目だと思い、私たちを連れて逃げた。その時私は17歳だった」と打ち明けた。

また、イム・チョンスク院長は「咸昌(ハムチャン)という田舎で定着した。母親と姉が働く条件で門屋に住んだ。町のおばさんに、ついて来ればお金を稼げると誘われついて行ったが、それが美容の仕事だった。お前本当に上手だという言葉に、私にも上手なことがあるんだなと思った。私が最後まで学んで就職すれば才能を寄付しようと決心し、店を出すことになった」と美容室を開くまでを話した。

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チャンミはロールモデルが母親だと明らかにし「母親のように生きれば後悔はないだろう」と話した。また、自身の姓を母親の姓であるイムに変えたとし「姓が本籍ではないか。私が生まれて私を育ててくれて私のすべての根が本籍だと思う。私は母親の影響を一番多く受け、今後も母親と一緒に生きていくので、母親の姓に従うのが正しいと思った」と話した。

それと共にチャンミは「一昨年あまりにも混乱して母親にやめようかと相談したが、母親はやめろと言った。幸せでなければやめなさいと言った。私がやめたら何をすればいいか分からないと言ったら、母の店に来て母を手伝ってくれればいいと言った。それがすごく力になった。私が辞めたければいつでもやめられるから、もう少しやってみようと思った。母親に感謝している。みんな耐えろと言っていたが、耐えなくてもいいということを教えてくれてありがたかった」と打ち明けた。

彼女は「母親が私に対して申し訳ないと思うのはとても残念だ。なぜなら、申し訳なく思わなくてもいいほど私たちに一生懸命してくれた。青少年ボランティアに一生懸命だったけれど、 私たちも一生懸命育てられた。幼い頃、気を使ってあげられなかった事が申し訳ない気持ちとして残ったようだ。そう思わないでほしい。何度生まれても母の娘として生まれたら幸せに暮らせると思う。

財閥であれ今のようであれ、今より状況が悪かったとしても、関係ないだろう」と話し、感動を与えた。

放送後、ネットユーザーたちはチャンミの母親イム院長の善行に大きく感動した。ネットユーザーたちは「このような方がいるから世の中にまだ希望がある。ありがとう」「立派なチャンミのお母さん、私たちの社会の英雄だ」「15年変わらずに子供たちを抱いていらっしゃるとは尊敬する」など院長に賛辞を惜しまなかった。
  • ヤン・ソヨン スタートゥデイ記者
  • 入力 2022-06-16 11:54:43




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