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歌の王チョー・ヨンピル・・・19作目のアルバム「Hello」でまた偉大な誕生

「私のスマートフォンには、いつもビルボート最新曲…本当に変わってるだろう、この味に生きるんだ」 

  • 歌の王チョー・ヨンピル・・・19作目のアルバム「Hello」でまた偉大な誕生
清涼なピアノの旋律がポンポン跳ねるリズムで歌の砲門を開く。ベースギターで交ざった軽快なメロディーは恋に落ちて胸が「バウンス、バウンス」(Bounce・跳ねる)する青年の心臓の鼓動のように、生気があふれている。弘大(ホンデ)で流行するはつらつなモダンロックバンドの音楽だと錯覚する瞬間、流れ出る声は先入観をすっかり打ち砕く。「窓の外の女」「虚空」で聞いていた歌手チョー・ヨンピル(63)の音声だった。

先月16日公開されたデジタルシングル「バウンス」は、チョー・ヨンピル突風の予告弾だった。同じ月23日に公開された正規19作目の「Hello」は破格そのものだった。電子音が主調してラップが交ざったタイトル曲「Hello」からファンキーなロックナンバー「充電が必要だ」など10曲から63歳だという歳を感じなかった。アルバムは1ヶ月もたたずに20万枚を突破して、31日からソウルオリンピック体操競技場で始まる全国ツアーコンサート、瞬く間に売り切れた。地上波音楽ランキングプログラムには、一度も出演しなかったのに、数多くのアイドルを押しのけて1位を占めた。

「45年目歌手」は思い出に留まらずに変化を重ねている。20代の青年になったような新鮮な音楽で、世間を驚かせた彼に同年輩の中・壮年層だけでなく、アイドルに慣れた若い層たちも歓呼を送った。「センセーション」の中心になる「歌の王」を記者たちが黙っておかなかった。1ヶ月近くインタビューを固辞していた彼を去る24日、ソウル瑞草洞のYPC事務室でようやく出合った。

「すべて私の幸せだ。何でも聞いて下さい。すべて答えられる。もっとも基本的なことを素直になろうということだ」実際に会ってすぐ彼は虚心坦懐に話を打ち明けた。どんな質問にも誠意をもって答えて、足りないようなら追加説明をしながら「誤解」が無いように配慮した。インタビューを固辞してきた理由について彼は、「生涯音楽をしながら生きて来たからか、このように会えば大丈夫だが、普段は誰かと話をすることが心が楽ではない。公演を前に落ち着けない」と語った。

やはりこの日も彼のトレードマークであるサングラスをかけ、ワイシャツに綿のズボンを着ていた。アルバムは破格的だが素朴なスタイルはそのままだ。「どこに行くというのか。ははは。ギターを抱えて始めた人はそれが出来ないようだ。ギターだけしか知らずに生きているのに(服装を気にすることが)笑えるんだ。正直(ファッション感覚が)無いことをどうしろと。これは絶対だめみたいだ」

2時間ほどのインタビューの中で音楽外的なことを話すときは笑いと冗談が混ざる余裕な姿だった。たまに知人と楽しむゴルフ、よく行く飲食店の話をするときは顔に笑顔が蔓延したが、音楽の話はぞんざいにすることがなかった。

音楽に対しては病的なほどで完璧を追求するとYPCの職員たちは説明する。

タイトル曲「Hello」は連続的に生じる和音の調和である和声を合わせるために、200回以上聞きながら調整した結果だ。40年を超えて守り抜いてきた、長く伸ばす歌い方もすぱっと変えた。バイブレーション(振動)の深さは多く縮めて、音は短く切った。アルバムの出荷を控えて、ひっくり返すことだけでも3回。10年間音楽的彷徨の中で苦痛の末に出したアルバムだが、彼は今だ不足しているものが見えると言った。彼は「20作目には19作目のときに心残りだったことをすべて補完しよう」と語った。

「私が変わらなければだめだと思う。過去と違うことは何があるのか。過去の私を捨てないといけない。過去を何度も引き止めていれば旧態していく。今年から45周年言及もしていない。アルバムやコンサートに45周年を絶対に言及するなと言った。過去より未来、いつもこう考えている。すべてのことを変えなければ(結果が)出るものだ。今まで生きてきたことより、これからの未来のチョー・ヨンピルを見よう、これなんです」

次は一問一答
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Q. この「大ヒット」は予想したか。

A. アルバム作業大詰めのとき音楽記事がスタジオで、歌だけ聞いて出て来たら「大ヒット」という言葉をたくさん言った。みんなそうなので私は「絶対期待値を高くしてはならない」と警告した。期待値を高めると後で失望も大きいから。10年ぶりのアルバムで苦労して作業した。コンサートもすべてたたんで準備したが、期待が大きいと失望も大きいから、心労する心を引き締めた。10位にだけ入っても「これ」(彼は親指を掲げた)と語った。

Q. 「Hello」の人気を体感するか。

A. 私は家、ここ(事務室)のほかには通いません。アルバムを出して友達と食堂で会うのが外出の全部でした。私が他の事情をどうやって分かるというのか。たまに来る人たちが話すのをを見て知った。地下鉄に乗れば私の歌が流れてきて、東大門の服を売る場所、マートや美容院で歌が聞こえるというので知っている程度だ。驚くべきことに小学生たちが私の歌を演奏した動画をYouTubeで見た。かわいくよく作ったものだ。(笑)

Q. 最新の英米ポップのトレンドによくあう。音楽に対する感を失わない秘訣は何か。

A. 私はビルボード最新音楽をずっと聴いている。感を失わないためだ。私の車のラジオの周波数は102.7MHz(AFN・在韓米軍放送)に常に固定されている。家でも最新歌謡からポップまで、すべて流れる衛星チャンネルをかけておく。腕組みしてただ聞くんだ。そのためこれから追求する音楽がどんなものなのか、おおよそ感を掴む。どんなものを作って、どんなものを着せたのか全部見た。私は変わった人間だ。そういう味(音楽を聴くこと)に生きる。

(彼はこの話をしながらスマートフォンを取り出して見せてくれた。その中にはケリー・クラークソン、ブルーノ・マーズなど最近の米国ポップ市場を牛耳るスターたちの歌が沢山入っていた)

Q. 声が衰えないようだ。

A. のどを健康にするには練習しかない。自分が聞いてみたとき最もいい音をよく出す癖をつけなければならない。それは練習を通さなければだめだ。メロディーを見てむやみに歌わない。音一つ出すことも徹底的に計算している。私はずっと歳を取る。これを受け入れてずっと音楽をしようとするなら練習をすることしかない。歌手がこの感じを知れなければならない。私は今も毎日練習する。昨日も午前11時から夜の7時までした。沢山くたびれたときはコーラスに1節だけ歌ってじっとしていろという。昼食時間40分を抜いて全部練習だけする。「無理して」する。

Q. ミュージシャンとして寂しいと思ったりしないか。

A. 考え方次第だ。ひとつのことに気が狂うような人たちは、そういう考えをする暇が無い。宿命だから。私は寂しい時間が無い。寂しいと考えることは自身が無いということだ。すべてのことを熱心にしない人たちがする事が無くて寂しいんだよ。ストレスも正直言い訳だ。ストレスはあるだろうが、それを無視してしまえばいい。暇な人とかがする話だ。仕事を作れば寂しくない。

Q. デビュー以来、初めて出演するロックフェスティバルの収益金を寄付することにしたそうだが。

A.「寄付」すると発表するのが嫌だった。私はそんなことがよくマスコミに出ることを望まない。とても不便だ。寄付は気乗りしてすることなのに、発表しようと寄付するようで嫌だ。記者たちが取材をすることはどうしようもないが…。小録も公演も同じだ。記者たちを遮ろうとどれだけ心をすり減らしたか、どうせ記者たちが調べだして(報道されることが)どうする方法も無かった。

Q. 草創期に契約を誤って31曲の著作権が音盤会社に移って行った。悔しくないのか。

A. 私は気にしていない。個人的に悲しい話だが、私の間違いもある。私が無心だった。私はこれ以上タッチしないだろう。私はそこまで気を使わない。世間のすべてのことに「金」「金」といえば終わりがない。適度にあればいいのだ。

Q. 「人生100歳時代」という。老後の計画はちゃんと立てたか。

A. 私はそこまでは生きられないと思う。今の30~40代なら100歳まで生きるだろうが、私はそうでないだろう。しかしこんな話をしなければならないのか分からないが、例えば歳を取って腰が曲がり助けを借りながら生きるようになれば、生きる必要があるだろうかと考えはする。そうなればとても虚しくなると思う。働いていてぱっと死んでしまうのがいい。人が生きるということは健康に働ける時までだと考える。なにもしないで助けを借りて生きるのは人間ではない。ただ生命のために生きるだけだ。

Q. それならば「引退」は考えたことが無いか。

A.できるところまでするのが、私の幸福だ。私は本当に、観客がちゃんと(私の音楽を)聞くことができるときまでが私の生命だと考える。舞台上での2時間20分ほどが、私の生命が持続される時間だ。もし観客に聞かせるものがあんまりで歌を歌っているなら、私は癪にさわるだろう。胸が痛いだろう。以前にフランク・シナトラの最後を見たとき、とても悲しかった。(フランク・シナトラは心筋梗塞に痴呆が合わさり、音楽活動を控えなければならなかった)そうするのが嫌だ。そのためには運動をしなければならず、管理をしなければならない。いま練習することも管理だ。数ヶ月休んでやればいいものだろうか。それまでは悪あがきしようってことだよ。ははは。

Q. 今回とても成功して20作目は負担になるようだ。

A.19作目がとてもつよく20作目は負担になる。前回よりもっと強いものを出したい。外国の作曲家と作業をする考えだ。「強い」ということは音楽の良し悪しを超えて、音楽的なものを沢山考慮しようという意味だ。簡単でありながらも音楽性があり、見方を変えれば複雑だが、メロディーラインが絶妙に重なる…。

Q. 覚悟が感じられる。

A.私には限界がある。(人生は)時限的だ。すべて熱心にぶつからなければならない。岩にぶつけたとしても頭が割れるか岩が割れるか、まずは向かっていかなければならない。今この時代にどれだけ音楽的に賢い人が多いか。これに勝とうとすれば、無条件爆弾を持って飛び降りなければならない。君が死ぬか私が死ぬか。

■ 歌の王チョー・ヨンピル・・・

大韓民国の独歩的なシンガーソングライター。様々な曲を直接、作詞・作曲して他の作曲家から提供された曲もバンド「偉大な誕生」と一緒に編曲し、時代を先どる音楽を出した。アルバムのプロデュースまでも務め、歌謡界にシンガーソングライターの概念を確立した。韓国にコンサート文化を定着させた人物としても評価される。1969年米8軍の舞台でギターを弾いていたチョー・ヨンピルは75年「釜山港に帰れ」で名声を積み始めた。79年に発表した1作目の「窓の外の女」は空前のヒットを記録した。このアルバムは大韓民国で初めて100万枚以上売れた。88年に発表した10作目に収録された「ソウルソウルソウル」「モナリザ」が相次いで大ヒットを爆発させながら、チョー・ヨンピルは全盛期を謳歌した。94年には大韓民国で初めて音盤販売量1000万枚を超えた。「歌の王という称号で呼ばれる彼は、10年ぶりに出した19作目“Hello”を通してもう一度音楽的に飛躍した。一ヶ月もたたず20万枚を突破し熱風を続いている」

1950年京畿道で誕生 /キョンドン高等学校卒業 /1974年「チョー・ヨンピルと影」を結成 /1975年「釜山港に帰れ」発表/1979年正規1作目「窓の外の女」/1986年日本進出 /1988年「ソウルソウルソウル」「モナリザ」連続ヒット/1994年大韓民国初の音盤販売量1000万枚突破 /2013年正規19作目「Hello」発表
  • 毎日経済_イ・ソニ記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2013-05-24 22:00:07




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