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昔、韓国には「粉食の日」があったそうですが、どんな日でしたか?


お米が不足している時代がありました。今は韓国にもお米が溢れて子供たちがお米の代わりに、ハンバーガーやインスタント食品ばかり食べたがるため、親を困らせていますが、30年前までは米飯は富の象徴でした。

当時の庶民の素朴な夢の一つに「イバプにお肉のスープを満腹食べたい」というものがありました。「イバプ」とは「李(イ)氏のご飯(パプ)」という意味ですが、朝鮮王朝を立てた人が李氏でしたから「米飯は王族の食べ物」という意味も含まれていたわけです。

1960~70年代まで、お米は非常に貴重な作物だったそうです。農村では庭を掃いていた老人が米一粒でも落ちているのを見つけると、家に入り嫁を叱ったそうです。稲穂ひとつも粗末に捨てることはなかったと言いますから、どれほど大切に扱ったかが分かるでしょう。

このように貴重な穀物であるため、家ごとにお米を大切に保管していたのは当然のこと、小学校では月に一度、お米を集めたりもしました。「節米運動」の次元から、各家庭ごとに台所に小さな瓶を置いて、ご飯を炊く前に一握りずつのお米を瓶に入れていました。そのようにして集めたお米を学校にも持っていき、セマウル婦人会を通じて売って福祉に使用されたりもしました。混食(お米以外のものと混ぜて食べること)・粉食(小麦粉で作った料理を食べること)が奨励され、「粉食の日」というものができたのも、その頃です。

その頃は、ご飯も貯蓄も強制される時代でした。勤勉貯蓄生活化、青少年先導、病虫害防除、ネズミ捕り運動など、10種類以上の国民運動が一度に起きたりしていました。混食・粉食奨励運動が国民運動の隊列に並んだのは当然のことでした。

粉食奨励運動は1956年に米国から余剰農産物の援助が提供され活気を帯び始めたのですが、1963年から大々的なキャンペーンが行われ始めました。一日にして、米飯中心の伝統的な食事は批判を受け、小麦粉は賞賛の対象となりました。

「小麦粉料理を食べると背が高くなり、頭も良くなる」という宣伝も出てきて、映画館では映画の上映に先立って粉食を奨励するための大韓ニュースが観客を心を動かしました(?)。

公式記録を見ると、混食・粉食と関連して政府は67年から76年まで毎年行政命令を下し、1977年から行政命令を解除しています。その頃には、少し味の落ちる(と韓国人は感じる)統一稲(新しく改良された稲の品種の一つで、単位当たりの収穫量が多い)が大量生産されており、お米の供給量もある程度豊かになった状態でした。

さらに、すでに米国による小麦の無償援助が終わっており、1976年には小麦粉の輸入が170万トンを超えたという点も行政命令を解除した背景でしょう。その後、粉食奨励から徐々に統一稲を食べる、混食奨励側に方向が変わりはじめ、1980年半ば以降は混食・粉食奨励政策が廃止されました。

混食・粉食奨励運動は、最初は啓蒙運動の性格を持っていましたが、徐々に強制性を帯び始めました。まず、家庭での麦の混食を誘導するために、各学校でお弁当の検査をしました。麦を少なくとも30%混ぜてこそ、検査に合格しました。

このような政策は、学校から飲食店にも移りました。1964年1月、すべての飲食店は麦と麺類を25%以上混合して売るようにし、同年8月にはユッケジャンやコムタンなどの汁物にも米50%、雑穀25%、麺類25%を混合して調理するようにという指示が下されました。

粉食の日、別名無米日は1969年1月23日から生まれました。「粉食の日」の毎週水曜日と土曜日には、飲食店で午前11時から午後5時まで米で作った食品を一切販売できないようにしました。家で作って食べるご飯については防ぐ方法はありませんでした。お金持ちたちは、統一稲の代わりに、もちもちした一般米で炊いたご飯に様々なおかずを添えて食べたことでしょう。

しかし、他人の前で自慢げに騒ぐことはできなかったようです。全能の権力を振りかざした朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の気に障らないようにするためには、家族同士で黙って食べるしかありませんでした。

実際、パク・チョンヒ大統領は公式席上で「一部の階層は必ず牛肉も韓牛だけ、お米も一般米だけ食べようとする。このような人は新聞や放送に名前はもちろん、写真まで公開するべきだ。このような人は社会的に罰を受けなくてはいけない」と話しました。

とにかく、政府の荒々しい混食・粉食奨励政策のおかげで、1965年には13.8キログラムに過ぎなかった1人当たりの小麦粉消費量は1969年には28.7キログラムへと2倍以上増え、インスタントラーメンが庶民の食事を解決する1等功臣に浮上しました。インスタントラーメンは韓国で1963年9月から生産・販売され始めましたが、最初はあまり反応がありませんでした。その後、粉食奨励政策により弾みを受けて三養食品を大企業の仲間に入れたりもしました。

混食・粉食奨励政策の評価はやや交錯しています。ただし、この政策により、お米は小麦粉より劣るという誤解が生じたのは明らかです。今では、お米が過ぎた歳月に受けた悔しい濡れ衣(?)を晴らしてあらゆる力を発揮している時代です。

☞ 粉食は当初、小麦粉で作ったインスタントラーメンと麺、パンを意味しましたが、現在ではトッポッキ、キンパプ、スンデ、練り物などの単価が安くて簡単に調理することのできる食品全般を指します。

☞ 混食・粉食を奨励するために広報映画はもちろん標語、ポスター、童謡まで無数に作られました。麦飯を奨励する動揺をひとつ紹介します。

コケコッコー、東の方で日が昇る(꼬꼬댁 꼬꼬 먼 동이 튼다.)
ポンナムの家で朝ごはんを食べる(복남이네 집에서 아침을 먹네)
仲良く集まって麦ごはん(옹기종기 모여 앉아 꽁당 보리밥)
蜂蜜よりもおいしい麦ごはん(꿀보다도 더 맛좋은 꽁당 보리밥)

  • 昔、韓国には「粉食の日」があったそうですが、どんな日でしたか?
  • < 農協博物館に展示されている節米桶 >


  • 昔、韓国には「粉食の日」があったそうですが、どんな日でしたか?
  • < 「粉食の日」、お昼のメニューで出てきたパンを取る公務員、壁に「中食用パン」という文字が見える >

  • Lim, Chul
  • 入力 2015-04-17 09:00:00




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