南北離散家族の再会、肉親だと思っていたのにアカの他人という再会者も…

このように出会ったのも縁...義兄弟、結ぼう 

  • 嬉しさに泣き、20日北朝鮮金剛山ホテルで開かれた団体再会行事で南側のパク・ヤンゴンさん(52・左側)が言葉を忘れたまま北側の兄ヤンスさん(58)を見つめている。 ヤンスさんを含んだ船員25人は1972年五大洋号を乗ってカンギエイ漁をしている時に拉致されたことが分かった。 [金剛山=写真共同取材団]

「兄さん!」「そうだ、そうだ!」

数十年を待った出会いに、南北の肉親は言葉よりも涙でまずあいさつをかわした。

南北離散家族の第1次再会が行われた20日。再会場の北韓・金剛山ホテルは、数十年発酵させてきた懐かしさが雪が溶けるように流れ、涙の海を成した。2010年11月5日の第18回再会の後、なんと1203日ぶりに実現したこの日の出会いで、肉親たちはしっかりと抱きあって嗚咽し、なかなか抱きかかえた腕をはなせなかった。

42年前に拉致された実兄のパク・ヤンスさん(58)と邂逅したパク・ヤンゴンさん(52)はきつい慶南地方の方言で、これまで口にできなかった「兄さん」を大声で連発し、抱擁した。ヤンスさんは1972年12月28日、西海(黄海)の北方限界線近くでオデヤン号に乗ってガンギエイ漁をしていたところ、北韓の警備艇によって黄海南道の海州(ヘヂュ)港に連行されたことが分かった。

42年前の記憶なので顔がぼんやりすることもあったが、彼らはたちどころにお互いを確認し、子供の頃、村の木の上にのぼっておばあちゃんに怒られた記憶などを思い出した。韓国戦争後の拉致家族の出会いという象徴性のためか、北側の随行員らも彼らの出会いにとりわけ関心を示した。

この日の1次再会では、ヤンゴンさんの例のように、北韓に拉致されて生き別れた家族の事例があふれて注目を浴びた。チェ・ビョングァンさん(67)は、60年あまり死んだと思って心の中に埋めていた父親の痕跡を、北韓の異母兄弟たちに見つけることができた。チェさんの父は動乱の中、突然押し寄せた人民軍に捕まった後、戦争の砲火に死亡したと考えていた。しかし、もしやと思う気持ちで昨年、離散家族再会を申請し、意外にも父親が北韓で睦まじい家庭を持って亡くなったという消息に接することになった。

一方、戦時拉致被害者として父を失ったチェ・ナムスンさん(64・女)は、今回の1次再会で最も残念な事例になった。戦争中、北韓軍によって連行されたと思われた父親は既に亡くなったが、異母兄弟たちを通して懐かしい父親の痕跡を探そうとした。しかし再会場で異母弟だと思ったチェ・ギョンチャン(53)・キョンチョル(46)・トクスン(56・女)さんらから渡された父の写真を見て、お互いの記憶をすり合わせてみた後、「どう見ても私の父ではないようだ」と虚脱した。

それでもナムスンさんは、「こうして会ったからには義兄弟と思って、再会行事が終わるまで一緒に居よう」と毅然と語り、周囲を粛然とさせた。「さびしくて、これをどうすれば良いのでしょう」と涙声だったキョンチャンさんなど北韓参加者も、ナムスンさんの言葉にうなずきながら呼応した。

忠清南道の青陽(チョンヤン)から来たチェ・ソンドクさん(71)は、40年ぶりに弟のヨンチョルさん(61)と対面し、熱く抱擁した。7人兄弟でソンドゥクさんが長男、ヨンチョルさんが4番めだった。

ヨンチョルさんは1974年2月15日、西海のペンニョン島付近でスウォン33号に乗ってガンギエイ漁をしている途中、北韓軍の艦砲射撃を受けて拉致されたと知らされた。当時、彼の年齢は21歳だった。

戦争中に南へ非難したが姉のミョンスクさん(68)を失ったキム・ミョンボクさん(66)は、この日ようやく「私が死んでもおまえの姉を必ず見つけなさい」という、10年前の父の遺志を継ぐことができた。逢いたかった南韓の弟が訪ねてきてミョンスクさんの手の甲を撫でるあいだ、ミョンスクさんは何も言わずただ涙をぬぐうだけだった。
  • 毎日経済_金剛山共同取材団/イ・ジェチョル記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-02-20 17:45:03