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コリアナウ > スポーツ > ビクトール・アン「ゆうゆう」...アン放り出した韓国は「ふらふら」
アン・ヒョンス(安賢洙、29)さえいたら...」
2014年ソチ冬季オリンピックを眺める国内ショートトラックのファンたちの一様な雰囲気だ。ロシアに帰化した後、名前をビクトール・アンに変えたアン・ヒョンスは20日(韓国時間)、ドイツのドレスデンで幕を閉じた2014年のヨーロッパショートトラック選手権大会で4冠王に上がった。
大会最終日、男子1000メートル・3000メートルに続きリレー5000メートル金メダルを獲得したアン・ヒョンスは、前日の500メートルでも1位に上がって金メダル4個を首にかけた。
アン・ヒョンスが帰化を選ぶときには、「惜しいが、韓国ショートトラックの敵手にはならないだろう」という意見が支配的だったが、3年ほど経ったいま、アン・ヒョンスが「最強のライバル」として帰ってきた。
2002年ソルトレイク冬季オリンピックから「公共の敵」になったアポロ・アントン・オーノ以後、最強のライバルを迎えた韓国代表チームの見通しはそれほど明るくない。
1992年アルベールビル大会でキム・ギフンが占めたショートトラック初の金メダル以来、男子代表チームは19個のショートトラック金メダルのうち、10個を占めた。2010年バンクーバー大会では「エース」がいないという悪条件の中でも、イ・ジョンス(25)が金メダル2個を獲得し善戦したが、ソチオリンピックでは「期待の主」ノ・ジンギュが怪我をして、確実な金メダル候補はいないという評価だ。
事実、アン・ヒョンスの空白は大韓氷上連盟の「無能」がまねいたといっても過言ではない。ショートトラック代表チーム内の派閥争いを黙認さえしなければ、アン・ヒョンスが背信感を感じて韓国を離れることはなかったからだ。
アン・ヒョンスは2011年8月に帰化のためロシアへ去ったときに、「韓国ではこれ以上、居場所がなかった。気楽に運動したかった」と明らかにした。韓国体育大学を卒業したアン・ヒョンスは、ショートトラック代表チーム内の韓国体育大と非韓国体育大学間の派閥争いに常に苦しめられ、男子代表チームの選手でありながら、女子代表と訓練をしなければならなかった。
アン・ヒョンスを逃した大韓氷上連盟は、大韓体育会から「ショートトラック代表チームは選手とコーチが組んで八百長を行った」との指摘を受け、代表チームのイ・ジョンスとクァク・ユンギは6ヶ月の資格停止を受けた。
大韓氷上連盟の「身内びいき」はまだ続いている。大韓氷上連盟は10日、2012年に弟子にセクハラした嫌疑を受けている韓体大のある教授を、国家代表装備担当コーチに抜擢した。大韓氷上連盟は「アン・ヒョンスを追い出したとろで、変わったことはなにもない」というファンの非難に弁解できなくなったわけだ。