トップ > テクノロジー > IT・科学 > 趣味でワニを飼い、希少動物事業おこない年20億稼ぐ

趣味でワニを飼い、希少動物事業おこない年20億稼ぐ

www.opentrade.co.kr 

  • 趣味でワニを飼い、希少動物事業おこない年20億稼ぐ
  • < ジュラ紀のシン・ボム代表は、昨年セリュン小学校で「第一回希少動物展示会」を開催した>

「20代序盤で外車を乗り回していた。今はアバンテに乗っている。傍から見える姿に気をつかわない。私は若い覇気で事業を始めた。希少動物のエサを飼育する農場と施設に2億5000万ウォンを投資した。3年の間、毎月こつこつと貯めた。ひと月に小遣いを30万ウォンと決めておき、その中からガソリン代・携帯電話料金などをすべて解決しながら節約しながら暮らした。昨年、会社の年売上が20億ウォン程度だったが私の月給は未だ200万ウォンだ。友達に会って遊ぶのも好きだが、投資するところが多いため収益をむやみに使うことができない」

「ジュラ紀」のシン・ボム(27)代表は、世界の希少動物の輸出入ならびに流通事業をおこなっている。希少動物の餌も飼育し、オンラインショッピングモールで販売する。取引先はインドネシア・アフリカ・ブラジル・メキシコなどの地だ。

シン代表は希少動物マニアだ。彼が希少動物に出会ったのは15歳のときだった。「中学校の時、テレビでワニを見て飼いたかった。父親がワニをプレゼントで買ってくれて家で育てた。その時から希少動物に関心が生まれ、外国のサイト・海外輸入書籍などを探してみた。英語もそれで勉強した。その時は事業までするとは思わなかった」

シン代表は最近、愛玩用カエル「ブルーアイホワイトツリーフロッグ」2800匹を中国廣州に輸出し、全世界のカメのうち25種類の中に入る希少種のカメ「ユアノイ」を10匹輸入し、韓国に流通させた。

トカゲのうち最高価格で販売される「サンゲイザー」トカゲ、メキシコ南部の紛争地域に生息する「ブルーマウンテンリザード」、脅威を感じると目から血を飛ばす「ジャイアントメキシカンホーンドリザード」ツノトカゲ、人ほどの大きさの「アルダブラゾウガメ」、中国の俗説で、食べると癌が治療されると知られ絶滅の危機にある「中国セマルハコガメ 」も彼が輸入した動物たちだ。「中国セマルハコガメ 」は香港まで直接出向いて探してきたという。

ジュラ紀の希少動物は、韓国の有名動物園・韓国仲介業者・小売店などに数百万ウォンから数千万ウォンまでで納品される。年売上は20億ウォン規模だ。「韓国人は、これまで希少動物を見ると気持ち悪いと忌避した。今は変わった。希少動物事業をブルーオーシャン・隙間市場だと見る人が多い。希少動物を愛玩用として飼う人がマニア層から一般人へと大衆化している」

彼は、日本はすでに希少動物事業が成長の勢いに入り、韓国でも可能性が見えると展望した。有名大型マートなどで生活必需品や食料品以外に愛玩用希少動物を展示し販売するのも彼のような脈略だということ。買い物をする母親についてくる子どもが希少動物に関心があるからとマート側でも欠かせないアイテムだと説明した。実際に昨年、地下鉄新堂駅では希少動物展示会が開かれた。観覧客が集まるなり周辺では希少動物の展示事業が可能性があるとい評価するという。

  • 趣味でワニを飼い、希少動物事業おこない年20億稼ぐ
  • < 写真=世界希少動物 >

シン代表が希少動物事業を始めたのは7年前、20歳になりながらだった。「インドネシアを旅行していた途中、韓国でいうとソウル大公園のような動物園を運営しながら、全世界に希少動物輸出入業をするアルーサカンパニーの代表に会うようになった。彼に会い事業をするようになった話を聞き、暇あるごとに訪れて"韓国総販売権をくれ"と提案した。彼は数日のうちに私の提案を受諾した。知ってみると、その人も私の年齢で事業を始めて成功したとのことだった」

彼は、家族の助けなしに一人の力でここまで来たということが満足だと語る。小さい規模で始め、堅実に収益を集め再投資しながら事業をこれほどに育ててきたのは熱情だったと語る。

シン代表の一番最初の事業はジュラ紀ではない。日本から渡ってきた古着衣類を釜山からとってきて販売する事業が始まりだった。「私はファッションに関心がとてもある。当時、ファッションマニア層の間で古着スタイルが流行していたが、韓国で販売される衣類の大部分が日本から渡ってきたという。釜山に行って古着衣類をもってきてオンラインで販売した。モデルは友達がしてくれた」

彼が運営するオンラインショッピングモールの会員数は4千人だった。元金300万ウォンで始めた事業は、いつの間にか8000万ウォンに膨れ上がっていた。シン代表は、「20歳になったら必ず事業を初めて事業家として成功しなければ」と決心した。

「いざ事業を始めると易しくなかった。オンラインサイトでつてを頼って服を売るのと、希少動物事業は大きく違っていた。軍隊に行く頃に同業しようと訪ねてきた人に感じた背信感もまだ生々しい」

シン代表は、希少動物事業を初めながら実験用マウスを育てた。コンテナ2個を輸入して流通しながら、月500万ウォンの純利益を出したという。

「軍隊に行かなければならない時期だったが、会社を売れと訪れた人に契約書サインなしで、口頭契約で会社を明け渡すことにした。信じていた。契約金だけもらって残りはもらえなかった。その人も会社を引き継いでから6か月後に事業を廃業した。動物が皆殺しされたというのだ。訴訟までいった。軍隊にいるのに本当に息苦しかった。金の取引問題よりは、信じていた人に対する背信感がさらに大きかった」。彼の父親は、価値のある経験をしたと考え教訓にしろと助言した。彼は今振り返ってみると、その時学んだ知恵がむしろありがたいと語った。

二番目の危機は、事業をはじめてから6年目になった年、職員が増えながらだった。彼はシステムを体系化し、給与体系に変化を与えた。職員に持ち分を分け与えたということだ。

「1年前、昆虫別・パート別に持ち分を50%ずつ分け与えた。購入内訳書と収益を公開し、収益の50%ずつを分け与えるという方式だった。以降、職員は週末も返上しながら自分の会社のように熱心に仕事をした。今は私よりさらに熱心に仕事する」

シン代表によると、農場の昆虫たちは生物なので関心を持って管理する時とそうでない時が確然な差を見せる。関心を持つ時1000匹を孵化していた昆虫が、関心度が低下すると100匹を孵化することもある。1年前に試行した給与体系のおかげで売上は4倍跳ねあがったという。

  • 趣味でワニを飼い、希少動物事業おこない年20億稼ぐ
  • < ソウル市松坡区セリュン小学校セリュン館で開かれた「第一回希少動物展示会」>

彼は今年、展示事業と教育事業に挑戦したいという抱負を明らかにした。その一環として10月28日から11月4日まで、ソウル市松坡区芳荑洞にあるセリュン小学校で「第一回希少動物展示会」を開催した。シン代表は、初めて見る動物を不思議がる学生の反応が熱く、延長展示をしたという後記を伝えた。彼は子どもの教育教材に「昆虫パッケージ」も企画し、学校に納品する。インドネシアのアルーサカンパニーでもパッケージに関するラブコールが入ってきたという。

シン代表は、「希少動物事業を韓国ではまだ体系的な市場を成せずにいるので、先占しやすかった」とし、「動物をよく知り、好きな人でなければ失敗しやすい事業だ」と助言した。彼は7年目、事業家として成功に対する確信がたっぷり満ちていると自負した。「やりたい仕事をするので疲れているのも分からない。新しいアイディアが頻繁に浮かび上がり、それを事業に繋ぎあわせるかていが私が発展しているという証拠だろう。ひとつずつ学びながら成長したい。インドネシアのように韓国に希少動物園を造成することがジュラ紀の最終ビジョンだ」。
  • 毎経ドットコム_キム・ユンギョン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-03-16 02:56:54




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア