Q.韓国の連続殺人犯について教えてください(下)

답변게시판
A. 至尊派(チジョンパ)*
組織暴力団の名前のように聞こえますが違います。
この集団が起こしたことは零細商人や居酒屋の主人に保護費を強奪することではなく罪のない生命を奪う行為でした。

韓国はもちろん世界的にも連続殺人犯が組織を成して活動する例は非常に珍しい方です。単独犯でない場合でも、せいぜい夫婦、恋人、兄弟、友人など2~3人ばかりですが、この集団の数は8人にも上ります。世界犯罪の歴史の中でも貴重なもので彼らが検挙された時、CNNなど多数の海外メディアが特派員を派遣しました。

*元の名前はマスカン。犯罪を起こす前に訓練を行う際に頭に巻いたタオルに「至尊」という文字が書かれている上、ボスのキム・ギファンのニックネームが「至尊(チジョン)」だったことから、警察が付けた名前です。彼らは「野望」という意味のギリシャ語を借用してマスカンと名付けたましたが、そんな意味のギリシャ語は「フィロドキシア(φιλοδοξία)」です。

ボスのキム・ギファンが至尊派を結成したのは1993年4月です。炭鉱の仕事をしながら知り合ったチョ氏をはじめ3名を誘って組織を立ち上げましたが、犯罪計画に殺人が含まれたことを知った人たちが嫌って解散されました。

以後、放浪生活を送っていたキム・ギファンは、故郷の後輩であるカン・ドンウン(姜東銀)とカン・ドンウンの刑務所同期であるムン・サンロク(文相録)とペク・ビョンオク(白炳玉)、ムン・サンロクの後輩であるカン・ムンソプ(姜文燮)とソン・ボンウ、そして銀行強盗を夢見たキム・ヒョンヤン(金賢陽)などが加わり7人の殺人犯罪組織が誕生しました。

キム・ギファンの母親の家を改造してアジトにする前の1993年7月に最初の犯行が行われました。忠清南道(チュンチョンナムド)鶏龍市(ケリョンシ)でソン・ボンウ、カン・ドンウン、ペク・ビョンオクが会社から帰る途中、一人で歩いていた23歳の銀行員チェ・ミジャさんを発見し性的暴行を加えました。計画になかったことなので悩みましたが、キム・ギファンに報告したところキム・ギファンは残りのグループを連れてきて、チェ・ミジャさんを論山(ノンサン)の野山に連れ込み自分をはじめ他のグループにも性的暴行に加担させた後、首を絞めて殺害しました。

組織員の中で一番年下のソン・ボンウ(当時18歳)は、チェ・ミジャさんの殺人が起きた後、罪悪感に苦しみ組織資金から300万ウォンを横領して逃走しました。2時間後に事態を把握したキム・ギファンは警察に密告する可能性と組織の綱紀を引き締める別の理由で「許してやる」とソン・ボンウを説得し団結大会に行こうと野山に誘った後、殺害し遺体を燃やして密葬しました。

1994年7月、殺人のためのアジトが完工しました。

彼らが「アバングン」と称したアジトには拉致した犠牲者を監禁する監房と遺体を焼却する焼却場までありました。

行動綱領も作成しました。

1. お金の多い者を憎悪する
2. 10億ウォンを集めるまで犯行を続ける
3. 裏切り者は殺す
4. 女性は母親も信じるな

アジトが用意された後、キム・ヒョンヤンが知り合った武器ブローカーを通じて犯行道具一式を購入し現代(ヒョンデ)デパート狎鴎亭(アプクジョン)本店の従業員からデパートVIP顧客リストを購入した後**、本格的な犯行を犯し始めました。

**現代デパートはVIP顧客から激しく抗議を受けました。そのうちの1人である某弁護士は、デパートを相手取って2,999万ウォンを要求する損害賠償訴訟を起こしたりもしました。

キム・ギファンはアジト完工の数日前、先輩の家で寝て当時中学1年だった先輩の姪に性的暴行を加え逮捕されました。犯行の事実を素直に自白した後、強姦傷害罪で懲役5年を言い渡され光州(クァンジュ)刑務所に収監されましたが、犯罪捜査官たちは犯行から手を引くためにわざと行った行為だと見ています。それでも刑務所に収監中、カン・ドンウンを副頭目に任命し面会に来た組織員に犯行を指示しました。体は刑務所にいましたが他の組織員たちにとって彼の言葉は法でした。

1994年9月、京畿道(キョンキド)南楊州(ナムヤンジュ)のある釣り場付近に、通りかかった乗用車のグレンジャーを強引に止め車に乗っていたイ・ジョンウォンさん(36)とイさん(27)をアジトに連れ去りました。しかし、彼らは一味が犯行対象とみなした金持ちではなかったのです。イ・ジョンウォンさんはソウルのあるカフェの楽士で、イさん(女性)もそのカフェで働いている従業員でした。

組織員たちはイさんを順に性的暴行した後、交通事故に見せかけて2人を殺す計画を立てていましたが、キム・ヒョンヤンが「女性も一緒に殺せば不審に見えるかもしれない」と説得しイさんを殺害する過程に関与するよう誘導しました。極限の恐怖に震えていたイさんは仕方なく被害者の口を塞ぐふりをするしかなかったのです。

殺害したイ・ジョンウォンさんを運転席に座らせ谷底に押しやって交通事故に偽装しアジトに復帰したグループは儀式をするかのように再び交代でイさんに性的暴行を加えました。

1994年9月、城南(ソンナム)の公園墓地で墓参りをしていたソ・ユンオさん夫婦を拉致したグループは「金をくれれば解放する」と懐柔し8000万ウォンを奪ってから焼却しました。遺体を焼却する際に臭みを薄めるために庭で豚肉を焼いて食べたり近所の住民に配ったりもしました。

カフェの従業員のイさんが脱出したことで「至尊派」の存在が世間に知られ一味が検挙されました。

ダイナマイトの扱いを間違えて手を怪我したキム・ヒョンヤンが病院に行く日、イさんを同行させてほしいと頼み、キム・ヒョンヤンは自分が責任を負うと言って同行させたそうです。待機してから診療室に入るキム・ヒョンヤンは、現金50万ウォンが入った財布と携帯電話をイさんに預けました。

逃げる機会が与えられるとイさんはためらわず病院を出ました。イさんは自分が働いていたカフェのオーナーの弟と同行し警察を訪ねました。瑞草(ソクチョ)警察署の警察たちは自分たちの管轄ではないとして事件担当を拒否したそうです。これに衝撃と怒りがピークに達したイさんを見たカフェのオーナーの弟が、普段よくカフェを訪れていた瑞草警察署の強行犯係の班長に連絡します。イさんから話を聞いて事態の深刻さを感じた班長が本格的な捜査に着手することになります。

逮捕作戦は非常に容易に行われました。カン・ドンウンはポーター(トラック)に乗って村に向かう途中、警察と追撃戦の末捕まり「カン・ドンウンが交通事故に遭った」という誘引策でキム・ヒョンヤンとムン・サンロク、イ・ギョンスク***を逮捕し残りの組織員はアジトに突入した警察に捕まりました。

***カフェの従業員のイさんが逃走した後、アジトで食事をして雑事をする人手が必要だと言ってカン・ドンウンが連れてきた組織員です。合流2日後に逮捕されました。直接的に犯行に加わっていない事実が確認され懲役3年、執行猶予4年の判決を受けて釈放されましたが、検挙当時、カン・ドンウンの子供を妊娠中でした。

カフェの従業員のイさんが逃走した後もアジトに残っていた理由は、近隣の霊光(ヨングァン)警察署の刑事の動態が普段と変わらず、殺害に加担したイさんが口をつぐんだと判断したためだということです。イさんがソウルまで逃走して通報したのが逮捕に決定的な役割をしたわけです。

至尊派が逮捕された最大の要因は、キム・ヒョンヤンがカフェの従業員のイさんに抱いた恋心です。キム・ヒョンヤンはイさんを殺さなければならないという組織員ともみ合いになりながらも阻止したそうです。彼女を病院まで同行させて、お金や携帯の財布を預けたのも、命が危ないから逃げろという合図だったのでしょう。

キム・ヒョンヤンはイ・ジョンウォンと一緒に女性従業員(イさん)を連れてきた後、「今から俺たちの言いなりになれば、あなたを助けてあげる」と言いましたが、生きて帰れないことに気づいていた女性はあきれて笑ってしまったということです。彼女のこのような反応にキム・ヒョンヤンはとても戸惑ったそうですが、もしかしたらその時から恋心が芽生えたのかもしれません。

警察に検挙された「至尊派」一味に対する起訴、裁判は迅速に行われイ・ギョンスクを除いた残り全員には死刑が宣告されました。最高裁判所で死刑判決が最終確定した後、翌年の11月、キム・ギファンなど組織員6人に対する死刑執行が速やかに行われました。

検察は通報したカフェの従業員イさんに地方の家と仕事を紹介したそうです。一種の証人保護プログラムと言えます。
  • Lim, Chul
  • 入力 2021-08-17 00:00:00

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