Q.スポーツスター出身の芸能人を紹介してください(7-1)

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A. カン・ホドン(上)

中学生の頃から韓国の土俵を平定する人物として紹介されたカン・ホドン(姜鎬童)のプロデビュー戦は険しかったです。いや、険しかったというよりは少しは面白かったです。

韓国の民俗的なシルムは、日本の相撲と同じように巨体が体を寄せ合って競いますが、シルムはサッパ(廻しに当たる紐)*を握って行うという決定的な違いがあります。試合をしていると両選手ともサッパを手放してしまうケースがよくありますが、この時、審判の笛によって土俵に座り込んでサッパを握ることになります。

*腰や足に巻いて縛って手をかけるのに使う布

プロになったカン・ホドンの初試合もそうなりました。試合の途中、カン・ホドンも相手選手もサッパを手放してしまったのですが、カン・ホドンはただ呆然と立っていました。試合を中断してサッパを握り直せという審判の笛がまだ鳴っていなかったので、相手選手は素早くカン・ホドンを土俵に突き倒したのです。

土俵に倒れながら鼻血まで流したカン・ホドンは悔しい敗北を喫しましたが、負けたという事実に変わりはありませんでした。

中学生の時から天下無敵といわれてきたカン・ホドンとしては記憶したくもないデビュー戦でした。実際、カン・ホドンの学生時代は錚々たるものでした。馬山(マサン)中学校2年生の時、すでに近くの高校のシルム部を訪ねて対戦し全員を倒してしまいました。当時、彼の相手は全国的に有名だった嶺南(ヨンナム)大学のシルム選手たちでした。高校時代、あるメディアで有望株として紹介されましたが当時、彼の身長は182センチ、体重は110キロに達しました。

デビュー戦はハプニングで終わりましたが、翌年からシルムにカン・ホドンの時代が幕を開けました。馬山高校の大先輩である「土俵の伝説」イ・マンギ(李萬基)を相次いで破り最年少で天下壮士(チョンハジャンサ)になりました。

当時、土俵で最高の人気スターだっイ・マンギは、相対的に劣勢だった体力を技術で補ったテクニシャンでしたが、カン・ホドンはこれに体重と力も加えました。しかも頭がよくて試合を展開していく運営能力も他の追随を許しませんでした。

韓国でシルムが人気を得てから土俵にはカン・ホドンより体重がずっと重い巨体が続々と登場しましたが、イ・マンギも引退しているため相当の期間カン・ホドンの時代が続くという予想が支配的でした。

しかし、プロデビュー4年目にしてカン・ホドンは突然、引退を発表しました。
引退した理由もファンが納得しにくかったです。

「新人の体格と力に耐え難い。負傷問題で選手生活を終える」

引退を宣言する前、カン・ホドンは所属チームの一洋薬品を無断離脱して行方をくらましたことがありました。「僕がイ・マンギよりも出来ないことは何か」と理由を問わず年俸を増やすという契約交渉に支障が生じ葛藤の末に起こったことです。

チームから逃げたのは実は初めてではありませんでした。高校時代にはシルム部の選手たちが団体で家出したこともありました。

ポケットマネーをはたいて出したお金で民宿に隠れていましたが、運動をしないから楽しいし、家の周辺が静かで気分がよくて、通り過ぎる人を見ても自然と笑顔になったと言います。

そして、うわさを頼りに訪ねてきた監督にチーム員が皆捕まってしまいました。カン・ホドンは素早く逃げましたが、隠れた場所が脱出口のない練炭倉庫だったそうです。臨機応変に保護色の作戦を考えて服を全部脱いで練炭を全身に塗りました。監督がバカでない以上、練炭を塗ったカン・ホドンを見違えることはないだろうし、そうやって脱いだまま倉庫から連れ出されてきたのです。

その姿を彼女が見ていたそうです。

年俸交渉が順調に進みカン・ホドンが土俵に残っていたら、どうなっていたでしょうか?カン・ホドンより体重が30~40キロ重い巨体があまりにも多かったため、大変だったのではないかという推測、それでも年齢が高い上に技術と競技運用能力があったため、彼の時代が相当期間、維持されたのではという予測がすべて共存します。

しかし、確かなのはカン・ホドンが最も全盛期に土俵を離れて移ったブラウン管でも、とても短い時期に頂上に到達したという事実です。

カン・ホドンは20歳にもならない1989年7月、白頭壮士(ペクトゥジャンサ)のタイトルを取った後、KBSのトークショー『ジャニユンショー』に招待されました。そして翌年、天下壮士に上がった後、このショーに再び出演しました。これはシルム選手時代から昔ながらの話術が認められていたことを物語っています。

引退したシルムのカン・ホドン選手を芸能界に導いたのはコメディアンのイ・ギョンギュ(李敬圭)でした。MBC FMの音楽番組『星が輝く夜に』の司会者であるイ・ムンセがカン・ホドンを呼んだあとに2人をつなげてあげたそうです。イ・ギョンギュはカン・ホドンがふざけるイメージと馬鹿のイメージを同時に消化できる可能性に注目したそうです。

1993年、イ・ギョンギュの推薦でカン・ホドンはMBCコメディアンに特採されます。巨体のシルム選手が子供のようにうなりながら「兄貴~?」と叫ぶ姿は、それだけでも笑いを誘うのに十分でした。

視聴者は笑い飛ばしましたが、馬鹿な演技を見る韓国のシルム界は喪家になったと言います。カン・ホドンが自分の後継者になることを願ったイ・マンギは「どうせ芸能界に進出するなら天下壮士の威厳を守るキャラクターを引き受けてほしかったのに、おかしなヘアスタイルで馬鹿な役をするのを見て「ああやって食べていかなければならないのか」と思った」と述懐しました。
  • Lim, Chul
  • 入力 2021-10-05 00:00:00

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