Q.韓国人にとって北韓の人たちは同じ民族ですか?それとも異なる民族ですか?

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A. 1990年代初めのことです。韓国と中国が修交を結んだのが1992年なので、それ以前のことですね。修交前ではありましたが、韓国と中国の間に平和の気配が漂っていたので修交は時間の問題でしたし、このような雰囲気を生かそうと、ある言論社が中国の学者2人と台湾の学者2人を招待して対談会を開きました。

大げさに韓中修交を控えて東北アジアの政治情勢を討論してみようというのは2番めで、まずは中国と台湾の学者を一つ場所に座らせたこと自体が新聞社としてはイシューでした。司会を務める記者は両方の学者たちの呼称をどうすればいいのか、しばらく悩みました。当時は韓国では中国を「中共」、台湾は「自由中国」と呼んでおり、ともすれば呼称問題で問題になりはしないかという心配は当然のことでした。

しかし両方から集まった学者たちは、意外にも淡々としていたのです。彼らは遠慮なく中国は「大陸」、自由中国は「台湾」と呼びました。狭い海を隔ててお互いに銃口を向けてはいましたが、彼らの心には、とにかく「中国は一つ」という思いがあることがすぐにわかったのです。

南・北韓についての話をするなら、先に紹介した大陸と台湾の「ひとつの民族」を挙論するまでもありません。大韓民国、つまり韓半島の南側には北から下ってきた100万人近い失郷民、北に家族を残してきた人たちが暮らしています。すでに高齢によってこの数字は徐々に減っているとはいえ、彼らの子どもたちはいずれにせよ失郷民の子どもたちです。言い換えれば、北韓には彼らの近しい親戚がまだそこに暮らしているのです。

このため、南・北韓の懸案を論議する場で一番最初に議論される主題は離散家族の「相逢(面会)」です。面会する場所や時間がとにかく流動的で、家族が出会い胸の張り裂けるような瞬間を感じることのできる人数が制限されるうえに、病気を患って弱り、せっかく得た機会さえ味わえず残念にも他界する人もいますが、家族を恋しく思う心は、失郷民の胸の中に半世紀以上もの間こめられているのです。

他の国の人たちは、彼らの悔恨の情がどれほどのものか理解することはできないでしょう。北韓に生きている家族のない失郷民たちも、故郷にいる親の死に目に会えない申しわけなさ、両親が埋められた墓に一度行きたいという気持ちを満たす方法がありません。

失郷民が少なくないことから、韓国人は誰もが北韓と人的に絡みあっているわけです。本人が失郷民でなくとも、失郷民の友人・同僚、あるいは近い隣人だったりもするということです。大げさに、民族の同質性を云々する必要もなく、同じ言葉と、まったく同じ歴史と文化を問う必要もありません。今この時点で、南・北韓が同じ韓民族だということは、改めて言うことでもありますまい。民族である前に、多くの韓国人の親・兄弟・近い親戚が、鉄条網の向こう側に住んでいます。

韓半島の分断がもたらした悲劇的な運命は未だ進行形なのです。
  • Lim, Chul
  • 入力 2014-04-23 16:17:09

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