Q.朴槿恵大統領の秘線実勢(隠れた実勢力)だというチェ・スンシルはどんな人物ですか?(上)

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A.
1979年6月の写真です。インターネット媒体NEWSTAPAが発掘した第1回「セマウル祭典」の資料写真には、李明博(イ・ミョンパク)、当時の現代建設社長も登場します。当時、韓国のファーストレディ役をしていた大統領令嬢に近づきたくてもどうしても接近できず、気をもんでいる表情です。

セマウル財団の朴槿恵(パク・クネ)総裁の横にぴったりはりついて恍惚と仰ぎ見る女子学生が羨ましかったのかもしれません。令嬢の隣の女子学生、彼女こそが最近、韓国社会に地震を起こしたチェ・スンシル(崔順実 / チェ・ソウォンに改名)です。チェ・スンシルが「セマウル大学生総連合会」の会長として行事を主管したため、至近距離で総裁を補佐することは当たり前だったのかもしれません。当時、朴総裁は27歳、チェ・スンシルは23歳でした。

セマウル大学生総連合会会長のチェ・スンシルは、檀国(タングク)大学1年生の女子生徒でした。当時、韓国で中下位圏に分類されていた檀国大学の学生、それも幼い女子学生がものすごい官職の冠を被ったのです。大統領の後ろに隠れて国政を壟断した実勢の力が、その時にも感じられますね。

幼い女子学生がどのような縁で大統領令嬢の目にかなうことになったのでしょうか。彼女の父親チェ・テミン(崔太敏)のおかげと言えます。

1974年、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領夫人のユク・ヨンスが行事会場で銃で撃たれてこの世を去る前までは、チェ・テミンという名前は韓国政治史に登場していませんでした。母親を亡くした後、心に傷を負った朴槿恵に送ったチェ・テミンの手紙1枚が、韓国政治史に悲劇を追加する端緒になりました。

手紙は、「夢で亡くなった令夫人を見た。娘をよろしくと頼んでいた」という内容のものでした。夢に現れたユク・ヨンスが、「私が死んだのは、私たちの娘をアジアの指導者として育てるため」だと言ったという、母の魂に憑依されたというチェ・テミンに、大統領令嬢はすっかり惹かれました。九重宮闕に出入りして権力者を魅了する宗教人、そのためチェ・テミンには「韓国のグリゴリー・ラスプーチン(Grigory Rasputin)」というニックネームがつきました。

チェ・テミンは一言でミステリアスな人物です。警察出身の彼は仏教の僧侶になったこともあり、カトリックの洗礼を受けたこともあるそうです。1970年代には、ソウルと大田(テジョン)一帯で難病を治療するというエセ宗教行為を行ったりもしました。仏教とキリスト教、カトリック教を総合したという教義でバンミンという偽名を使いながら、自らを「檀君」、「弥勒」と呼んだりもしました。

朴槿恵の信任を得た後は、それまで渉猟した宗教を捨てて牧師になりました。牧師から按手は受けましたが、牧師になるためのコースの1つである神学校に通っていた形跡は見受けられません。そのため巷では「金で牧師職を買った」という噂も出回りました。

生前に7つの名前を持っていた彼が、テミン(太敏)という最後の名前を使い始めたのもその頃です。名前だけでなく、彼には妻も多くいました。6人の妻から9人の子どもが生まれました。その中の5番目の妻を大事にし、その中でも5番目の娘チェ・スンシルが自分の現夢を受け継いだとし、寵愛したと言われています。

大統領令嬢の後ろだてを得たチェ・テミンは、強大な力を持つようになりました。新羅ホテルとロッテホテルで毎日、政・官・財界の人事に会い、請託も受けました。

公式的な肩書きが必要だったのか、「大韓救国宣教団」を発足して自ら総裁に就任しました。1975年に臨津江(イムジン川)で開いた祈祷会の行事には2000人の聴衆が集まった中、朴槿恵も参加しました。その場でチェ・テミンの即席提案により朴槿恵は名誉総裁に推戴されました。カトリック大学の西江(ソガン)大学を卒業した朴槿恵大統領が、プロテスタントとも縁を結ぶことになった場です。

その後、朴槿恵は救国宣教団の行事に頻繁に参加し、チェ・テミンに力を与えました。救国宣教団は1976年に救国奉仕団に、そして2年後には「セマウル奉仕団」に変わります。セマウル奉仕団は、朴槿恵がファーストレディの役割をしながら積んだキャリアの中の核心であるセマウル運動の本山の役割を引き受けることになります。

大統領令嬢の名前を売って回り、あらゆる利権に介入するため事情機関はこれを黙過できませんでした。中央情報部は「工事受注」、「将軍の昇進」、「国会議員公薦」などの名目で金を受け取り、公金を横領した44件の不正項目と複雑な女性関係が盛り込まれた文書を作成しました。

このような不正が明らかになりましたが、チェ・テミンに対する本格的な捜査はありませんでした。代わりに、現代社会では見ることが難しい不思議な裁判が行われました。朴正煕大統領が直接主管した親鞫(王が親しく尋問すること)が青瓦台大統領執務室で開かれました。

原告の資格で中央情報部長、弁護人の資格で朴槿恵が同席したのです。朴正熙はチェ・テミンが再び青瓦台の近所に出没できないようにし、複雑な女性関係の芽を取り除き、チェ・テミンを去勢させるように命令を下しました。このような命令を受けた人は、中央情報部長や事情責任者ではなく秘書室長でした。

秘書室長は大統領の気持ちを酌みました。なぜ私に? そっとしておいてくれという意味のようだと感づいたのでしょう。母親を亡くし、セマウル運動という活動に心を寄せる娘を不憫に思う大統領の心思を読んだのでしょう。

死んだ人が夢枕に立つようなチェ・テミンが、まさかそのような大統領の意中を読めなかったはずがありません。私がどんなに悪いことをしても、司法当局に連れて行かれず、大統領に親鞫を受ける人だと鼻高々だったことでしょう。父親チェ・テミンのそのような姿が、今日のチェ・スンシルからも伺えるということが悲劇です。

※この記事は「朴槿恵大統領の秘線実勢(隠れた実勢力)だというチェ・スンシルはどんな人物ですか?(下)」へ続きます。
  • Lim, Chul
  • 入力 2016-10-26 00:00:00

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